暑さを避けるため、2020年東京オリンピック(五輪)のマラソン、競歩の会場が札幌市に移転することになった。1日の東京都、国際オリンピック委員会(IOC)、東京五輪・パラリンピック組織委員会、政府の4者協議で最終決着した。近代五輪124年の歴史で初めて、開催都市圏でマラソンが行われない、異常事態となった。陸上担当記者が、今回の決定を掘り下げる。

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東京五輪は「アスリートファースト」のはずが、そこに選手の声が反映される余地はなかった。少なくとも事前にヒアリングを受けた日本選手はいなかった。「アスリートファースト」という錦の御旗を掲げ、過酷な環境を変えるというIOC。聞こえはいいが、それは同時に、東京の暑さを乗り越えようと、選手が5年以上も積み重ねてきた努力を踏みにじることも意味する。東京、札幌の開催の是非はともかく、変更のプロセスには納得がいかない。

そもそも東京の夏が暑いことは、招致が決まった6年前から分かっていたはずだ。多くの棄権者が出たドーハで開催の世界選手権(10月6日閉幕)が変更案の背景とされる。その世界選手権を取材した。あくまで体感だが、ドーハと東京の夏は湿度が大きく異なり、ドーハの方が明らかに過酷な環境に感じられた。68人中28人が棄権した女子マラソンは公式記録では、湿度は74%だった。コースは海岸沿い。体にまとわりつく生暖かい風は、その数字以上の湿度を感じさせた。立っているだけで不快な環境だった。

招致の段階から議論があったのならともかく、IOCのバッハ会長の「鶴の一声」で急転直下。都合よく解釈された「アスリートファースト」が「トップダウン」を生むという皮肉に映った。本当に尊重すべき意見の順序は、逆なのではないだろうか。

残念なのは、日本陸連も声を上げなかったこと。暑さは日本勢の地の利だったはず。にもかかわらず、日本陸連が、議論の段階で声を上げなかったことに、違和感を感じた。

札幌決定を受け、国際陸連の理事も務める横川会長は「選手を派遣する競技団体の立場としては、率直なところ複雑な思いを禁じ得ません。選手やその関係者は東京での最高の結果を目指して覚悟を持ってこれまで競技力向上を図ってきており、今回の決定を受け、それをこの時点で方向転換するということは簡単なこととは言えません」とのコメントを発表した。

そこまで選手を思うなら、なぜ結論を静観する構えを貫いたのか。

もちろん、開催場所を決める立場にないことは承知している。とはいえ、東京都医師会も都や組織委員会、国に意見書を出している。取材によれば、当事者ともいえる日本陸連に、動いた形跡はない。

現場には「声を上げるべきだ」という考えを持った人もいた。だが、組織としては受け身の立場で、決定の日を迎えた。何も言うことができないまま終わってしまった。

国内のマラソン選手、関係者には東京開催を望む声もあり、日本陸連は夏の大会のノウハウを世界で最も熟知する団体のはずだ。ならば、黙って受け入れる“日本人らしい”美徳を捨てても、よかったように思う。

選手に寄り添い、声を上げファイティングポーズを取ることが、選手たちの東京での最高の結果を目指す覚悟に、少しでも報いる姿勢ではなかったか。

巨大組織IOCの前に、声も上げず、戦わずして“白旗”を揚げた感は拭えない。

【陸上担当=上田悠太】