羽生結弦(26=ANA)が5年ぶりに日本一を奪還した。2月の4大陸選手権(韓国)以来10カ月ぶりの今季初戦で、新フリー曲の大河ドラマ「天と地と」を初披露。新型コロナ禍の葛藤を上杉謙信に重ねて215・83点をマークし、首位発進した前日ショートプログラム(SP)と合計319・36点とした。国際スケート連盟(ISU)非公認ながら今季世界最高の300点超えとフリーの自己ベストを更新した。来年3月の世界選手権(ストックホルム)代表にも決まった。

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羽生に武神が宿った。冒頭の4回転ループで先陣を切ると、4回転サルコー、後半の4回転トーループ2本まで7回のジャンプに全成功。特にサルコーは驚異の出来栄え点(GOE)4・16の加点を引き出すなど4回転4本はすべて3・60以上を稼いだ。水色に白、黒帯の和服風衣装で5年ぶり5度目の天下取りを確信すると、人さし指を突き上げた。「初戦にしては心から良かった。練習してきたことを信じて、やり切れた」と勝ち名乗りを上げた。

コロナ禍の中、自ら振り付けた新プログラム。SPはロックで首位発進し、フリーは琵琶と琴の音に乗って出陣した。69年の大河ドラマ「天と地と」の主役、上杉謙信が武田信玄と相対した川中島の戦い。その古戦場から約8キロ北にあるビッグハットで「謙信公に影響を受けた。戦いの神様にも葛藤があり、最後は出家し、悟りの境地まで達した価値観、美学が自分と似ているのかな」。第3波の中で「1秒でも活力になれば」と葛藤を大義が上回る。沈む世の人のため、そして自分のために戦っていた。

昨年はGPファイナルで米国のチェンに、全日本で宇野に敗れた。「戦えなくなっているのかな。疲れたな。もうやめようかな」。暗い世相に「好きなスケートをすることにも罪悪感があった。やっていることが無駄に思えた」と悩む。1人、GPシリーズ欠場した間も他選手の情報が入ってくる。「みんな、うまくなっていて1人だけ取り残される、暗闇の底に落ちる感覚だった」。前人未到のクワッドアクセル(4回転半)完成どころか、最も得意な3回転半まで跳べなくなった。そんな時、謙信の考えに触れて戦いの中に達成感を求めた。過去の演目も舞い「やっぱスケートが好きだな。自分のために動いてみてもいいのかな」と。

それが世界選手権への思いだった。もう1度、勝ち戦がしたい。「自分自身がつかみ取りたい光に手を伸ばした」と立ち直り、前へ踏み出す。冒頭の両腕を十字にするポーズには「天と地と羽生結弦。天と地の間に俺がいるぞ」を込め、また合戦の中に身を投じた。

暗闇から抜けた時、新境地が広がっていた。「大人になれた。(前日のSP含め)ジャンプ跳べたぜ、やっほーい、イエーイ、じゃなくてシームレスに(継ぎ目なく)跳べた」。力まず借りを返せた。昨年は5週3戦の過密日程で「調整すらできない」ほど疲弊していたが「今年は違って体力がある」。コロナ禍の唯一の好材料として自分と向き合えた。コーチ不在の孤独も、8年ぶりの家族との同居と支えで原点に戻れた。

負けて「弱っちい」と自責した日から1年後、ISU非公認ながら今季世界最高の300点を超えた。19年スケートカナダの212・99点を上回る215・83点のフリー自己ベストもマーク。迷った日々の自分に言いたい。まだ戦える。聖地長野で軍神と化し、また頂に降臨した。【木下淳】

 

◆世界選手権の代表選考 シングルは男女ともに3枠。1人目は全日本優勝者。2人目は全日本2、3位、グランプリ(GP)シリーズで表彰台に上がった上位2人、今大会終了時点の世界ランク上位3人のいずれかを満たす選手から選考。3人目は2人目の選考基準に該当しながら漏れた選手を含め、今大会終了時点での世界ランク上位3人、GPシリーズのベストスコア上位3人から、総合的に判断して選考する。