そばで見ていた女子高生が両手を天に突き上げ、両足を踏みならした。声は出せなくとも、感情をあらわにするほどの喜びようを見せたのは、9月に千葉で行われたバレーボール男子アジア選手権の1次リーグ、日本-バーレーン。東京オリンピック(五輪)に続き日本代表入りした高橋藍(らん、20=日体大2年)の得点シーンだった。


「コートでプレーする姿を通じて代表での経験を伝えてたい」と話す高橋藍(撮影・平山連)
「コートでプレーする姿を通じて代表での経験を伝えてたい」と話す高橋藍(撮影・平山連)

後衛の位置にいた高橋は、バランスを崩しながらレシーブした後、すぐさま攻撃に移りスパイクを決めた。俊敏な動きで、一連の好プレーを難なくこなす期待の若手に、会場から温かい拍手が送られた。


五輪の1年延期が決まる前まで、シニア代表としての実績が皆無だった青年が、ここまでファンを魅了する存在となった。その熱狂ぶりにも、驚かされる。


わずか1年の間に周囲に受け入れられ、大きく飛躍を遂げた理由は一体なんなのか? 写真共有アプリ、インスタグラムのフォロワーは92万人に上り、国内バレーボール界でトップ級。注目を集める新星。そのルーツをたどり見えてきたのは、尊敬する兄に追いつき、追い越したいという一心で練習に打ち込んできた貪欲な姿だった。


夢を現実に! 最年少19歳で五輪代表入り

小学校の卒業文集につづった「東京五輪に出る」という夢が、現実になった。


チーム最年少の19歳(当時)でコートに立った高橋は、エース石川祐希(25=ミラノ)の対角を担い、全試合に出場。持ち味のレシーブ力で積極的にボールを拾い、ここぞという場面では高い跳躍から鋭い強打を何度も浴びせた。


29年ぶりの8強入りにも、高橋は満足していない。当時のことを思い出すと自然と言葉に熱が帯びる。


「延期前は世界の高さが経験できず、正直自分の力がどこまで通用するか分かりませんでした。今年は試合を重ねながら課題を改善していき、自分でも納得できる成長ができました」。その上で「自分が世界の高さにもっと慣れていれば、メダルに届いたんじゃないかという手応えもありました」と冷静に受け止める。

注目度急上昇。インスタフォロワーは那須川超え

期待の新星への注目度はうなぎ上りだ。


インスタグラムのフォロワーは約92万人に達し、国内バレーボール界でトップ級。国内スポーツ界を見渡しても、人気格闘家の那須川天心(約86万人)やサッカー元日本代表の本田圭佑(約79万人)をしのぐほどだ。


五輪効果をはっきりと感じる高橋は「オリンピック後に届いたメッセージを見ながら、いろんな人から応援してくれたんだなと思いました。だからこそ、もっと責任と自覚を持ってプレーしていかなければいけないと感じています」。強い自覚が芽生えた。

21年5月、男子国際親善試合 日本対中国 第4セット、日の丸を背に豪快なスパイクを決める高橋藍(撮影・狩俣裕三)
21年5月、男子国際親善試合 日本対中国 第4セット、日の丸を背に豪快なスパイクを決める高橋藍(撮影・狩俣裕三)

2歳上、兄塁の背中を追って始めたバレーボール

バレーボールと出合うきっかけを与えてくれたのは、2歳上の兄の塁だった。


兄が所属するクラブの練習についていくうちに、小学2年から一緒に参加するようになった。当時上背もあった兄はエーススパイカー、一方の高橋はレシーバー。クラブの練習では飽き足らず、放課後によく2人して自宅近くの公園に向かった。鉄棒を境にして、ボールラリーに明け暮れ、日か沈むまで没頭した。


ところが、兄が中学に進むタイミングで、バレーボールをやめることすら考えるほど悩んだ。競技とのつながりを保ってきたのは、兄がいたから。「(兄が卒業して)クラブには自分だけになってしまって、何のためにバレーをやっているのか分からなくなって」と当時の胸中を振り返る。


そんな心境の中、両親や監督の強い説得で踏みとどまった。「あの時やめていれば、違った人生だった。ターニングポイントでした」と周囲の支えに感謝する。

試合でボールを追う高橋藍(右)と兄の塁(家族提供)
試合でボールを追う高橋藍(右)と兄の塁(家族提供)

作文につづった「兄を追いつき、追い越したい」

兄への憧れは、中学3年時に書いた作文でもはっきりと見える。


「拝啓18歳の私へ」というテーマで書かれた文章には「兄は優秀で、全国強化合宿など選ばれてすごい」「(18歳になった時)僕は兄を追いついて、追い越しているかな?」「なんでも先だから兄はすごいけど、悔しかった」などと赤裸々な思いがつづられている。


当時の作文について、高橋は少し照れたように笑みを浮かべ「いつも先に行く兄に対して、追いつけない自分が悔しかったんです。そこに対して越えたいという思いで書いたのを覚えています」と明かす。


期待と不安を胸に、兄もいた京都・東山高に進学。3年時にはエースとして全国高校選手権(春高バレー)で初優勝に導いた。尊敬する兄もなしえなかった結果をもたらし、自身も大会MVPに輝いた。大きな自信をつかみ、そこからは瞬く間にシニア代表候補に上り詰めた。代表での強化合宿や国際経験を積み、今の地位を築いた。

中学卒業時に高橋藍が書いた「拝啓18才の私へ」
中学卒業時に高橋藍が書いた「拝啓18才の私へ」

塁の邂逅「抜かれたなと思った」あの瞬間

「藍が春高に優勝した時に会場で見ていたんです。ああ、抜かれたなと感じました」と語るのは日大で主将を務める兄塁。自分たちの代ではライバル校に阻まれて全国の切符を逃した中、エースとしての責務を全うし頂点に導いた弟の姿に圧倒された。


今や国内男子バレー界のトップを走る弟。急激に進化を遂げた要因について、兄は「藍は(兄の)自分に追いつきたいという悔しさが、原動力になっていたんじゃないでしょうか」と言う。


中学、高校と選抜チームに選ばれるのは、当然ながら、年長の兄の方が先だった。いち早く全国の舞台で活躍する兄の様子を間近で見ながら、弟は練習を続けた。兄の塁は「僕はずっと楽しむことを一番に考えていました。でも、藍は僕を追い越してやりたいという気持ちがあった。身近に追い越したい存在がいれば、そりゃ強くなりますよ」と笑った。


昨年の全日本大学選手権(インカレ)の準決勝で、初めて兄弟対決が実現した。


同じスパイカー同士でネット越しに向かい合ってみると、弟の高さに度肝を抜かれた。試合は弟の日体大に軍配があがった。「小中高と同じチームにいたので、1度は対決したいと思っていましたが、強すぎるなと思いました。(対戦するのは)もういいかな、と」と苦笑いを浮かべるほどの衝撃だった。

昨冬の全日本バレーボール大学選手権で初対決の後、記念撮影に応じる高橋藍(左)と兄の塁
昨冬の全日本バレーボール大学選手権で初対決の後、記念撮影に応じる高橋藍(左)と兄の塁

「この1年すごく濃かった。まだまだ強くなる」

1年前までは分からなかった世界との差が、はっきりと見えている。高橋は「今まで生きてきた中で、この1年間はすごく濃かった。自分自身がまだまだ強くなれると思いましたから」。五輪で敗れた悔しさと同時に、伸びしろの大きさを感じた年になった。


さらなる高みを目指したいと思ったからこそ、石川やオポジットの西田有志(21=ビーボバレンティア)が戦う世界最高峰の舞台、イタリア・セリエAに大学在学中に挑戦をしたいと公言した。


「より強い選手がいるリーグで戦えば、世界との差はより縮まると思ってます」。好敵手たちが集うイタリアで自分を磨きたいという思いは、兄の背中を追ってきた幼少期と変わらない向上心から。「対角を組む石川さんにふさわしい存在になり、さらに追い越すような選手になりたいんです」と意欲を見せる。

東京五輪男子準々決勝 ブラジル対日本 石川祐希(左)とタッチを交わす高橋藍(2021年8月3日)
東京五輪男子準々決勝 ブラジル対日本 石川祐希(左)とタッチを交わす高橋藍(2021年8月3日)

兄との約束果たすために「代表で待ち続けたい」

五輪後、兄から「日本代表の一員として藍と一緒のコートに立つ夢ができた」と告げられた。その時のことを思い返すと、高橋の顔に自然と笑みがこぼれた。


兄の存在があったからこそ今の自分がいる。そんな兄からの言葉に、弟としてどうすれば応えられるか。自問自答しながら導いたのが「日本代表に居続けるためにスキルを伸ばして、僕は待ち続ける」。競技人生において兄と対角を組むことも、1つの夢になった。


目下の目標は、昨年準優勝に終わった全日本大学選手権(11月29~12月5日)。昨年、早大に敗れた悔しさを晴らして今度こそ頂点を狙う。大学4年の兄と学生時代に公式戦で戦うとすれば、この大会が最後になる。


代表での疲れからコンディションがまだ戻っていないというが「最終的にはインカレにピークを持っていきたいです」。目の前の戦いを意識しながら、3年後の24年パリ五輪に出場し、さらなる活躍を誓う20歳。その表情に、一切のおごりはない。【平山連】

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