22年北京冬季オリンピック(五輪)の最終選考会を兼ねたフィギュアスケート全日本選手権が23日、さいたまスーパーアリーナで幕を開ける。女子の代表枠は前回18年の平昌五輪から1枠増えて「3」。日刊スポーツの特集ページ「Figure365」では「さいたま最終決戦~北京への道~」と題し、19日から3日間にわたって23歳の前回代表、初出場を狙う20歳の大学生、17歳の高校生と3世代の歩みを描く。2回目は昨季ジュニア3冠女王の松生理乃(愛知・中京大中京高2年)に思いを聞いた。

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人生で最もつらかった日を松生は思い出していた。

19年のジュニアグランプリ(GP)シリーズ。初国際試合の第3戦ラトビア大会で3位に入り、ロシアの有望株ウサチョワに1・37点差と肉薄した後だった。

1カ月後の第7戦イタリア大会にもエントリー。ところが出国10日前の練習で転倒し、臀部(でんぶ)を強打した。痛みと色濃い内出血で動けない。それでも練習だけは休まなかった。

「本当に痛かったんですけど、出発まで時間もなかったし、できるかできないか分からなければ、とにかく練習だけはしないといけない。無理してリンクに立ち続けました。毎日毎日、泣きながら。大げさじゃなく、本当に氷の上で泣きながら滑っていました。スケートをやってきて一番きつくて泣いたのは、その時かな。結局、棄権することになってしまったんですが」

2年後。国内ジュニア3冠の称号を引っ提げてシニアに転向し、初参戦したGPシリーズでまさかの結果が待っていた。NHK杯6位、ロシア杯8位。コロナ禍による変則開催だったものの、昨季はジュニアでNHK杯3位だったことを考えれば、物足りなかった。

「せっかく2戦に出させていただいたのに、チャンスを生かせなかった。悔しい思いが本当に強いです」

先月中旬のNHK杯直前に右足首を負傷した影響だった。挑戦中のトリプルアクセル(3回転半)はおろか、演技後半に全て集めて得点源としていた連続ジャンプを前半に移すなど、構成も落としていた。練習で追い込めないと調子が上向かないタイプでもあった。

ただ、沈んで、落ち込んでいるだけではなかった。

「けがで過去には棄権したこともあるんですけど、今回は絶対に出たいと思いましたし。どういう状況でも気持ちを強く持てば、後悔のない演技ができることが分かりました。今後に生かして練習していきたい」

戦い抜いた。2戦とも経験した。これは目先の得点や順位よりも自信になる。

さらに思い起こせば、今季につながる記憶は少なくない。競技を始めたのは小学1年生の時。同じ名古屋市出身の浅田真央さんに憧れて週1回、スケート教室に遊び感覚で通った。一般的には遅い3年生から練習を本格化した後の、伝説のフリーを演じた14年ソチ五輪が思い出深い。「ショート(プログラム=SP)の後の重圧に負けず、しっかり挽回して。五輪の大舞台で3回転半もしっかり決めて。本当に感動しました」

その浅田さんに背中を押された。今や、松生がダブルアクセル(2回転半)習得に2年かかったのは有名な話だが「ノービスBだった5年生の時かな、初めてお会いしてサインをもらって。猫背で、ちょっと独特な踏み切りだった当時の自分は全く跳べなかったんですけど、浅田さんが『アクセルって難しいけど頑張ってね』と声もかけてくださったんです」。今季から高校の大先輩の代名詞だった3回転半に本腰を入れる。先月のロシア杯では、あの歴史的フリーの舞台となったソチのリンクに立った。

「憧れの浅田さんが、憧れの試合をした会場。同じリンクで滑らせていただけるということで、すごくドキドキワクワクしました」

浅田さん、男子で平昌五輪銀メダルの宇野昌磨らを育てた山田満知子、樋口美穂子の両コーチに師事している共通点もある。「先生たちから、宇野選手も(トリプル)アクセルを跳ぶまで時間がかかったけど、とにかく本数を跳んでいたと話を聞いて。私も(練習)枠の中でその練習だけする時間を取ったりしています」とトライを重ねている。

宇野が3季前のフリーで演じた「月光」も樋口コーチから授けられた。聞いた瞬間、宇野を想像したといい「1つ1つの動きに重みがあって感情移入できる。手や顔の動きがすごくて圧倒されます。理想にしながら、自分もそう言ってもらえるように頑張りたい」。

平昌五輪後、宇野と会った記憶も強く残っている。「大会後、リンクに来られた時に写真を撮らせてもらったんですけど、銀メダルも首にかけてもらったんです。五輪のメダル、めちゃくちゃ重くて」。その時は思いもしなかったが、自身も4年後、候補の1人に数えられるように。縁も感じられたシーズンとなった。

迎える全日本。1年前はジュニアからの飛び級で紀平梨花、坂本花織、宮原知子に次ぐ4位と輝きを放った。今はこう感じている。

「去年は初めての出場で4位。自分でも思っていなかったくらいの最高の順位でした。でも、今年は差を少しでも埋められるように、もっと努力をして成長していかないといけないなと思っています」

GPシリーズは不本意な成績だったが、考え方はシンプルだ。もう上がっていくしかない。「この経験をプラスに変えていけるよう練習しないといけない。全日本に向けて、ノーミスの演技ができるように練習していかないといけない」と話してから1カ月。失うものは何もない。【木下淳】

◆松生理乃(まついけ・りの)2004年(平16)10月10日、名古屋市生まれ。9歳から本格的に競技を始めたためノービスB(スケート年齢9、10歳)では全国大会出場なし。同Aは全日本で14、11位だった。2回転半の成功に時間を要した一方、3回転ジャンプはルッツまでの5種をジュニア1年目の中学2年までに習得した。開花した昨季は全日本、インターハイ、冬季国体の3冠。今季SPは「恋は何のために」。趣味は読書、昨年の誕生日に贈られたカメラでの写真撮影。150センチ。血液型B。