21年が幕を閉じる。20年はコロナ禍で大会やイベントの中止が相次いだが、この1年は感染予防対策を取りながらスポーツ、文化とも、少しずつ前に進みだした。北海道では、コンサドーレ札幌へのサッカー元日本代表MF小野伸二(42)の復帰に始まり、夏場は東京五輪で北海道勢が活躍。12月はお笑いコンビ「錦鯉」の50歳長谷川雅紀(札幌市出身)がM-1グランプリ最年長優勝を飾り盛り上げた。日刊スポーツ北海道版担当記者が1年を振り返り、取材時の裏話、思い出などをつづった。

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史上初めて1年延期された東京五輪は、開幕までもドタバタだったが、大会期間中も慌ただしかった。象徴的なのが札幌で開催されたマラソン・競歩だろう。そもそも開催地が札幌に決まったのが19年11月。IOC(国際オリンピック委員会)による突然の変更だった。急ピッチで準備を進め、8月5日から4日間、熱戦が繰り広げられた。

6日の午後7時過ぎだった。夕方実施の女子20キロ競歩の取材を終えてプレスルームでパソコンに向かっている時、ボランティアスタッフたちがザワついていることに気づいた。「開始が1時間早まる!?」と話しているように聞こえた。声を掛けてみるとメールで連絡が来たという。私もすぐに「明日の女子マラソンが午前6時スタートに変更になるようだ」と同僚に連絡。案の定「マジですか」と驚きのリアクションが返ってきた。直後に世界陸連が発表。天候が繰り上げの理由だった。

選手が変更を知ったのもほぼ同時。号砲まで12時間を切っていた。すでに就寝中だったが起こされて知り、朝まで寝つけなかった選手もいた。コンディションへの影響は必ずある。それでもゴール後、言い訳にした選手はいなかった。開催されたことへの感謝の言葉も聞こえた。地元札幌の街並みを五輪選手が駆け抜けたことにも感動したが、彼女たちのスポーツマンシップに最も心を揺さぶられた。【保坂果那】