全国大学ラグビー選手権で帝京大を10度の優勝に導いた岩出雅之監督(63)が9日、明大との決勝戦の後に退任を表明した。

26年間の指導で通算10度の日本一に輝き、伝統校の早大や明大と肩を並べる強豪校に育て挙げた名将の見事な引き際だった。

岩出監督はラグビーの監督というより、教育者としてチームの育成にあたった。以前、日本代表のエディー・ジョーンズ監督が大学ラグビー不要論を唱えたときには、真っ先に反論した。「学校スポーツは日本だけのシステム。競技者のゴールとしてだけでなく、やめたあとのゴールもある」。19年ラグビーワールドカップ(W杯)の日本代表に8人もの卒業生を送り込んだ監督だが、常に見ていたのはその選手の人間性。そして、社会に出て役立つようなリーダーになれる人材づくりを目指してきた。

1996年に就任。当時は対抗戦グループでも下位を低迷するチームで、苦しい時代も乗り越えてきた。まず選手に言ったのは「朝起きて学校に行く。講義をまじめに聞く。練習をさぼらない」だった。それまで1年生がしていた雑用を4年生にさせ、1年生の負担をなくした。

「1年生が4年間成長していくために、4年生が懐深く、たくましいところを見せて関わっていく。1年生が伸び伸びすると、自分のことだけで精いっぱいだったのが、他人のことに一生懸命汗をかく人になってくる。そういう他人に関われる人間が世の中に求められるリーダーになっていくです。お世話になっている(社会人)チームがそれを求めますね」。以前のインタビューで岩出監督が話した言葉だ。

人間をつくることだけでなく、練習にもたくさんの工夫をした。組織の在り方を変え、練習では全体の7割が達成できることを標準とする「7割の法則」で指導。ケガ防止のために当時の大学スポーツでは画期的な管理栄養士の採用や、トレーナーとの連携。選手の血液検査で疲労度やトレーニング効果を数値化し強化に生かした。選手同士のコミュニケーション能力を高めるため、企業や海外の軍隊で採用されている情報伝達メソッドまで取り入れた。

そんな努力と取り組みが実って、09年に創部40年にして初の日本一に輝くと、そこから17年まで9連覇を達成した。そして、4年ごしのV10。今回のチームを引っ張ってきた細木康太郎主将を始め、卒業し入団したトヨタ自動車で主将になった姫野和樹、大学でもサントリーでも主将を務めた流大など多くのリーダーが育っていった。

「人は育てるものではなく、育っていくもの。本人が自分を変えようとする挑戦の場作りを提案できる指導者になりたいと思っています」と岩出監督は言う。そんな思いから、ただ強い、日本一になるためのチームではなく、グラウンドや学校の回りを自主的に掃除ができる選手たちの集団を作り上げてきた。早大や明大などの伝統校に対し、岩出監督は「伝統ではなく風土づくりです」と強調した。就任した96年から、26年かけて帝京大ラグビー部という風土をしっかり根付かせて、名将は去っていく。

これまでの取材で最も印象に残っている言葉がある。「4年間でいくら成長しても、その4年間が人生の中で一番輝いた期間で終わったら、それって実は不幸ですよ。人としての魅力を世の中に入って生かしながら成長していける、そういう発想で育てて、出口もしっかりサポートしているつもりです」。

岩出監督、お疲れさまでした。【桝田朗】