体操男子で五輪個人総合2連覇の内村航平(33=ジョイカル)が14日、都内で引退会見を行った。最も印象に残っている演技の1つに、11年世界選手権個人総合決勝の全6種目を挙げた。当時を前体操担当の吉松忠弘記者が回顧する。

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11年10月14日。東京で行われた体操の世界選手権個人総合決勝の朝を迎えた。内村航平は、目覚める2~3分前に、いつもの通り、手のひらを握ったという。「力の入り具合を確かめる。これで分かる。過去1番、力が入った」。この日、同選手権個人総合3連覇。6種目合計93・631点は世界大会自己最高得点(当時)で、2位のボイには世界大会最大の3・101点差をつけた。異次元の強さだった。

14日、引退会見にのぞんだ内村は、「最も熱く盛り上がった瞬間は」という問いに、あの11年の同大会個人総合決勝を上げた。「今まで感じたことがないゾーンを感じた。今日は何をやってもうまくいく感覚で目覚めた。あれは一生出ない(感覚)と感じた」。

その瞬間を、目の前で生で見た。微動だにしない着地。足の先まで神経が行き届き、体線の美しさと、難度の高さという矛盾した世界を、苦もなく演じてしまうすごみは、空恐ろしさを通り越し、当たり前の空気だった。

内村は、この日、当時を「痛いところも全くなかったし、自分は何をやってもできると思っていた時期だった」と振り返った。ただ、それは、内村の勘違いか、ゾーンに入っていたために感じなかったかのどちらかだ。

11年8月に、右足首を捻挫。その影響で、個人総合決勝の9日前の公式練習で、両ふくらはぎがけいれんした。その日の取材で「捻挫で筋力が落ち、疲れがたまっているのかも」と不安を口にしていた。10年には肩を痛めており、肩の不安は、常につきまとった。

それでも、今振り返ると、「痛いところは全くなかった」ということになる。6種目を演技している最中、「試合が終わるまで全て自分の思い通りにいった」ゾーンの感覚は、引退のこの日まで悩まされた体の痛みなど、全く忘れさせてくれたのだ。内村にとって、人生最高の日だった。