世界に名を刻む銅メダルだった。10年バンクーバー五輪で、高橋大輔(当時23)が3位となり、フィギュアスケート男子では日本人で初めて五輪の表彰台に立った。この種目が始まった1908年ロンドン五輪から102年。欧米以外の選手としては初のメダル獲得という快挙を達成した。

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10年2月、バンクーバー五輪フィギュアスケート男子フリーの表彰式。左から銀メダルのプルシェンコ、金メダルのライサチェク、銅メダルの高橋大輔
10年2月、バンクーバー五輪フィギュアスケート男子フリーの表彰式。左から銀メダルのプルシェンコ、金メダルのライサチェク、銅メダルの高橋大輔

ショートプログラム(SP)では、自己ベストの90・25点をマークした。3位だったが首位プルシェンコ(ロシア)と0・60点差、2位ライサチェク(米国)とは0・05点差という大混戦。90点台に3人という史上初(当時)のハイレベルな戦いが繰り広げられた。


4回転を回避する安全策ながら「世界一」と評されたステップは最高評価のレベル4で、驚異的な2・20点もの加点を引き出した。4位の織田信成とは5・40点差と少し開きがあった。続くフリーで安全策の4回転回避を選択しても、武器のステップと表現力はジャッジから常に高評価を得ており、メダルは濃厚という状況。


それでも高橋は「4回転は男子の醍醐味(だいごみ)。(98年)長野五輪以降、五輪王者は全員4回転を決めてきた。僕にとっては必要なもの」ときっぱり。あくまで金メダルを狙い、4回転で勝負に出た。


だがフリーの冒頭で挑んだ4回転トーループは、豪快に転倒する失敗だった。安全策で3回転のコンビネーションジャンプなどを成功させていれば、10点以上の上積みは確実だったが実質0点。4回転を跳ばなかった金メダルのライサチェクと10・44点差だった。


それでも「挑戦しなければ後悔すると思っていた」。銅メダルが決まると涙を流して喜び、表彰台では4度も両手を突き上げた。


フリーは名作映画「道」の音楽に合わせて演じた。


06年トリノ五輪8位の後、4回転を武器に世界歴代最高得点を更新するなど、バンクーバー五輪の金メダル最有力と目された時期もあった。だが08年10月の練習中に右膝の大けがを負い、歩くのもやっとの状態。五輪10カ月前にリンクに戻ったが1回転ジャンプからのやり直し。「よくここまでたどり着けた」という自身の苦しい「道」と重なる選曲。困難に直面しても転倒しても笑顔で滑る姿は、世界中の人々の胸を打った。


「この種目で初のメダルは誇りに思う」


実はジャンプコーチでソルトレークシティー五輪4位だった、本田武史のスケート靴を履いて舞っていた。わずか1カ月ほど前から履き始めたサイズも違う靴だが、日本男子の先人がはね返され続けた歴史を受け止め、力に変える覚悟があった。


その背中を追って、14年ソチ五輪では羽生結弦が金メダル。大きな1歩を刻む銅メダルだった。(敬称略)【高田文太】

【五輪メダリスト/下 浅田真央】>>