日本バスケットボール協会(JBA)が、会長任期に関する重要規定を改定していたことが8日分かった。

昨年11月の理事会で規定が改定され、会長任期を最大7期14年とすることが決まった。今年9月に4期8年の任期満了で退任するとみられていた三屋裕子会長(64)は長期政権を敷くことが規定上可能となった。改定に関する対外的な告知は一切なされていない。変更内容の是非に加え、説明不足も指摘される。

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重要な変更は水面下でひっそり進み、気がつけば正式決定していた。昨年11月、JBA規定から「会長としての通算任期は4期を超えないものとする」といった文言が削除。一方でただし書きのような形で記されていた「通算7期」の言葉は残った。今秋で任期満了になるはずだった三屋会長は、最長で6年半後の29年9月まで会長を務められることになった。改定を決めた会議は三屋会長自身が議長を務めた。

規定を改定した理由についてJBAは、「改定前の文言だと、会長任期は最大4期とも7期とも読み取ることができた。読む人によって解釈が異なることが露見した」と説明。そのうえで「矛盾や齟齬(そご)をなくすため、合理的な規定に改正した」。手続き上も問題はなかったと強調した。

とはいえ大多数のバスケットボール関係者の間では、「会長任期は4期8年」の共通認識が間違いなく存在していた。改定前の文言から「最大7期」と読み取る解釈は強引にも映る。そもそも以前は最大3期までだった。「4期」と「7期」の2通りの解釈ができることが判明したのであれば、これまでの経緯も踏まえると「4期」の文言を残すほうが自然なはずだ。

長期政権は権力の集中を生みやすい。結果として、健全な組織運営に悪影響を及ぼしかねない。だからこそスポーツ庁が策定する「スポーツ団体ガバナンスコード」には、「理事が原則として10年を超えて在任することがないよう再任回数の上限を設けること」と明記されている。会長を含めた役員の新陳代謝は不可欠と提唱される中で、「最大7期14年」へと“延長”した今回の改定は、少なくとも現時点においては、ガバナンスコードからそれている。

JBAの浜武恭生事務総長は、「コロナ禍の影響で財政的なダメージも残っている。これまで協会にいてくださった方は、残っていただいたほうが良いと思う」と私見を口にした。昨年11月の理事会直後、報道対応の際に今回の改定に関する言及が一切なかったことについては「自分の意図」とし、12月のブロック連絡会で各都道府県協会の専務理事らに説明することを優先したと語った。

ある都道府県協会幹部は「三屋会長の再任ありきの変更としか思えない」と語気を強める。改定から4カ月近くが経過しながら、いまだに報道発表がないことについては「後ろめたさがあるからでは」と推察する。

オンラインゲームの設定などがひっそり変わっていたことが判明したとき、“サイレント修正”があったとしばしば批判対象になる。ファンへの告知なき今回の規定変更は“サイレント改定”とも表現できよう。

次期会長選びのプロセスはすでに始まっている。JBA法務委員長の岸郁子弁護士や、JBA副会長でもあるBリーグ島田慎二チェアマンら10人で「会長候補者選考委員会」を構成。協会トップにふさわしい人物について検討を重ね、6月までに候補者1人を理事会に推薦する。議論を重ねる中で、現会長の“5期目”を推す声はどこかのタイミングで出るだろう。

バレーボール元日本代表として活躍した三屋会長は15年にバスケットボールの世界に入り、JBA副会長に就任。翌年には勇退した川淵三郎氏の後を継いで協会トップの座に就いた。日本バスケ界のガバナンス欠如を国際連盟(FIBA)に指摘されていた当時から、汚名返上のために奮闘してきた中心人物の1人とも言える。

高潔な人柄と評判高く、現在はFIBA理事や日本オリンピック委員会(JOC)副会長なども務める。多忙な日々を送る中で、JBA会長を続投する意思や意欲はあるのか。協会を通じて三屋会長本人の気持ちを確認したところ、「私の名前がそこ(会長候補者選定委員会)に出るかどうかさえ分からず、現状においてまったくの白紙の状況であるいま、本件について私がコメントするのは適切でないと考えますので、コメントはご遠慮させていただきます」と回答した。【奥岡幹浩】