1勝希望-。元衆議院議員でタレントの杉村太蔵(43=旭川市出身)が7月、毎日テニス選手権(東京・昭和の森テニスセンター)の男子単40歳以上に出場する。札幌藻岩高時代の97年大阪国体少年男子複で、道内高校の所属選手として初の全国大会優勝を達成。約四半世紀ぶりに公式戦でラケットを握る杉村に、現在の心境と大会での目標を聞いた。【取材・構成 中島洋尚】

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ネットに向かってダッシュし、狙い通りのボレーが決まると「ヨシッ!」と叫び、こぶしを握り締める。やや遅いボールにラケットが届かないと「あああ~」と、テレビでおなじみの甲高い悲鳴が上がる。毎日テニス選手権出場決定が約3カ月前。本番までも残り約3カ月となった。

杉村 こんなに自分は下手くそだったのかなって思っちゃいますよね。生活に張りができたとか、目標ができたというのは大きいですけど、それ以上に自分のプレーの情けなさに対するメンタル崩壊を食い止めるのが、つらいです。

元世界ランキング4位の伊達公子氏(52)との昨秋の対談から、大会出場の話が進んだ。「毎日テニス選手権には、高校生の時に、当時の最年少で出場したことがあるんですよ。僕もいつかもう1回大会に出てみたい」とステージで話したところ、主催社からすぐに、今夏の大会の出場打診が届いたという。

杉村 リップサービスのつもりでしたし、まさか本当にこうなるとは思ってもいませんでした。練習を始めた最初のころは「結構打てるな」と軽く思ったんですけど、負荷をかけて練習量を増やしても、全くうまくならない。「こんなショットが打てないのか」っていうね。もうやればやるほど絶望感っていうか…。特に遅いボール。大谷(翔平)選手が、遅いボールに苦戦する時がありますよね。ああいう感じです。

札幌藻岩高3年だった97年の大阪国体は、松永一紀さんと組んだダブルスで優勝した。北海道内の男子高校生が全国制覇したのは後にも先にもこの1例。輝かしい実績を残した一方で、その後25年以上も大会から遠ざかったため「現実と当時のイメージの乖離(かいり)が激し過ぎる」という。

杉村 先日、松永と話しをしたんですけどね。「すごいですね」と、完全にひとごとですよ。それでもまずはこれをきっかけに、(大会出場を)続けたいなとは思います。マラソン大会に出ている芸能人の皆さんと同じですね。

現在はテレビのレギュラー番組を7本抱える。スポット出演番組や講演会もひっきりなしで、地元の旭川では、複合商業施設「旭川はれて」の運営にも携わる。ラケットを持つテニスの練習は週1~2回が限度。テレビを見ながらのストレッチや、週3~4回の「ウオーキングとジョギングの中間ぐらいの走り」(杉村)で、体力の向上とケガの予防に努める。

杉村 サーブは入る確率が上がってきました。速いボールはパパンッと返せるんですけど、ミスはほとんど遅ーいボール。緩いボールを打つ時は、速いボールを打つ時より3倍は足を動かして、ヒットポジションに体を持っていかないといけないので、スタミナが足りないかなあ。1勝してみたいですけど、まずは1試合コートに立ち続けられたら、という感じです。

 

◆杉村太蔵(すぎむら・たいぞう)1979年(昭54)8月13日、旭川市生まれ。旭川末広北小4年でテニスを始める。札幌藻岩高3年秋の国体テニス少年男子ダブルスで全国優勝。筑波大中退後、外資系証券会社の派遣社員を経て、郵政解散後の05年衆議院選挙に自民党比例南関東ブロックで初当選。TBS系「サンデージャポン」、テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」などに出演中。著書に『バカでも資産1億円』(小学館)がある。