レジェンドのラストシーズンが始まる。ラグビー日本代表としてW杯4大会連続出場のフッカー堀江翔太(37=埼玉)が6日、今季のリーグワン終了後に現役を引退すると表明した。本拠の熊谷ラグビー場で開幕前らしくポロシャツ姿で会見。セットプレーはもちろん、パスやキックも用いて従来の日本のフッカー像を覆し、15年W杯南アフリカ戦の歴史的勝利、19年日本大会での過去最高8強入りなどに貢献した。近年は途中出場で試合の流れを変え「ラスボス」の異名も定着。引退後は、競技を問わずトレーニングを担当するコーチを務めたい意向を明かした。「フィジカルやメンタルがやられていたら、こんな会見になっていない」と、笑顔を絶やさない37歳の今季開幕ゲームは10日横浜戦(熊谷)。2季ぶりの優勝を目指す最後の大仕事から、目が離せない。【松本航】

 

◆優勝で花道

「もちろん優勝して終わりたい。個人の目標は去年より絶対にいいプレーをする。体重をちょっと減らし、ちゃんとした体の使い方でフィジカルを出したい」

W杯フランス大会は全4戦に出場し、3試合は先発。心身に限界は感じない。08年の帝京大卒業後、FW第3列からフッカーに転向。ニュージーランド(NZ)に渡ったが、州代表も遠かった。「(NZ代表)オールブラックスになろうと思っていた。どんな相手でも絶対に勝つ自信、スキル、技術を身に付けたいことだけがモチベーションでした。それは今になっても変わらない」

 

◆1年半前に決断

「結果が良かろうと悪かろうと、W杯後のシーズンを終えて引退しようと思った。常に『明日引退しろ』と言われても後悔ないように全てをやってきた。楽しみなことの方が多いです」

決断は約1年半前。妻や限られた周囲にだけ伝え、2人の愛娘には「昨日言いました。一番言いふらすのは子ども。外食してテンション上がっていたので、父親が家にいる時間が長くなる方が(寂しさより)勝ってくれている」と笑わせた。支えられたファンへ。「生の僕を見て『最後の堀江やな』と実感してほしい」

 

◆三洋電機ラスト野武士

「11年W杯で『自分の能力あげんと、どうしようもない』と思った。自分の能力をどこまで上げられるかにフォーカスしてほしい」

13年に世界最高峰スーパーラグビーのレベルズ(オーストラリア)に入団。次世代の道しるべとなった男は後輩を思う。08年に入団した三洋電機は11年にパナソニックとなり、現在の在籍メンバーで唯一、三洋電機を知る選手だった。「『人としてちゃんとしなアカン』と一緒に生活する中で教えてもらった。大切にしているし、今もその文化はある。僕はいいチームと思う」

 

◆トレーナー 第2の道

「正しい体の使い方を覚えるだけで、大きくパフォーマンスが変わる。痛みが取れる。そういうのを広めていかんと。選手たちを助けたい。未来ある子たちにそれを覚えてもらいたい」

15年W杯の約半年前に首を手術。左手の握力が9キロにまで落ちた。今も二人三脚で歩む佐藤義人トレーナーと出会い、腕の筋肉、手首の位置、走りの癖まで見直してピッチに立った。「バスケ、サッカー、野球、ゴルフ、アメフト…。僕の経験を踏まえて、教えられることもあるかなと思う」

 

◆堀江翔太(ほりえ・しょうた)1986年(昭61)1月21日、大阪府生まれ。大阪・島本高から帝京大を経て08年に三洋電機(現埼玉)入り。13年からスーパーラグビーのレベルズ、16年からはサンウルブズでもプレー。日本代表としてW杯4大会出場。W杯通算16試合出場はリーチ・マイケルの17試合に次ぐ歴代2位。代表通算76キャップ。22年はリーグワン初代MVP。180センチ、104キロ。