シングルス元世界ランキング1位の大坂なおみ(26=フリー)が、22年9月以来570日ぶりに日本のコートに帰ってきた。3戦先勝方式の予選でシングルス第2試合に登場。世界50位のユリア・プチンツェワ(カザフスタン)を6-2、7-6のストレートで退けた。第1試合の日比野菜緒に続く白星で、決勝大会(11月、スペイン)進出に王手。昨年7月の出産から完全復帰を目指して、再び日本コートを沸騰させる。

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セットカウント1-0で迎えた第2セット。白熱するキープの応酬が続く中、サービスの前に、大坂はひと呼吸を置いた。会場に響き渡る子供の泣き声に「娘のシャイのことを思い出した。お母さんが慌てるのを見て『ゆっくりで大丈夫だよ』と思った」。頭の中には、米国にいる愛娘の姿。約1年7カ月ぶりとなる国内での試合に「とても緊張した」ものの、心は常に穏やかだった。続くサーブで、190キロ超えをマーク。冷静にこのゲームをキープすると、タイブレークを7-5で取り切り、ストレートで勝負を決めた。

対戦相手が「対戦した選手の中で最も速いサーブの1つ。氷のようだった」と評した大坂の武器は、最速194キロを記録。15本のエースを決め「調子が良かったというのは言うまでも無い」と胸を張った。ファンのたくさんの「ナオミコール」にも背中を押され、随所ではつらつプレーも披露。「一番素晴らしい雰囲気の中でプレーできた」と、喜びをかみしめた。

日の丸を背負うのは21年の東京五輪以来で、新鮮な気持ちで臨んでいる。第1試合の日比野に続く白星をもたらし、11月の決勝大会進出に王手をかけた。「万が一負けた時はシングルスの時よりもショックを受けると思った。杉山監督やみんながサポートしてくれた」とチームに感謝した。

13日の出場は味方の勝敗次第だが、機会があれば全力を注ぐ構え。「もちろん勝ちたいがこれは1つのプロセス」と言い切った。現在の世界ランキングは193位。今夏のパリ五輪の出場資格は、出産などに適用される制度で認められる見通しだ。日本は大坂とともに浮上する。【勝部晃多】

大坂の休養と復帰の歩み

◆22年1月 全豪オープン3回戦でアニシモバ(米国)に1-2の逆転負けを喫し、連覇を逃す。

◆同9月20日 東レ・パンパシフィック・オープン1回戦を最後に戦線離脱。

◆23年7月 長女シャイちゃんを出産。

◆24年1月1日 ブリスベン国際で約1年3カ月ぶりにツアー復帰。初戦でコルパッチ(ドイツ)を破り、復帰戦を勝利で飾る。

◆同15日 全豪オープンで2季ぶりの4大大会復帰

◆同2月 アブダビ・オープン出場。ジャブール(チュニジア)とともに7季ぶりのダブルスに挑戦。

◆同 カタール・オープンで準々決勝進出。

◆同3月 BNPパリバ・オープンで3回戦進出。

◆同 マイアミ・オープンで3回戦進出。

◆同4月 国別対抗戦「ビリー・ジーン・キング杯」予選のカザフスタン戦に出場。日本での試合は22年9月以来で出産後初。

◆パリ五輪への道 シングルスの出場権は男女それぞれ64枠(各国最大4人)で、6月10日付の世界ランキング上位56人に与えられる。フランスは開催国枠として男女各1枠ずつ保有するが、フランス選手がすでに出場権を獲得している場合はその枠は使用されない。その他、大陸別大会の優勝者または決勝進出者に与えられる国際テニス連盟枠が6などがある。

◆ビリー・ジーン・キング杯 国際テニス連盟が主催する女子の国別対抗戦。63年に前身となるフェデレーション杯が創設されて、その後「フェド杯」に改称。20年9月に女子テニスの象徴的存在であるビリー・ジーン・キングの名前を冠して現在の名称になった