<テニス・全米オープン>◇第8日◇1日◇米ニューヨーク・ナショナルテニスセンター◇男子シングルス4回戦

 世界11位の錦織圭(24=日清食品)が、男子シングルスの日本勢で1922年(大11)の清水善造以来92年ぶりのベスト8に進出した。大会史上最も遅い午前2時26分終了という2日がかりの激闘の末、同6位のミロシュ・ラオニッチ(23=カナダ)を4-6、7-6、6-7、7-5、6-4の4時間19分で下した。錦織の4大大会での8強入りは、12年全豪以来2度目。日本勢96年ぶりの4強をかけた準々決勝は、今年の全豪覇者で同4位のワウリンカ(スイス)と対戦する。

 日付は変わり、2日になっていた。時刻を示す電光掲示は午前2時25分。睡魔など吹っ飛ぶ激戦は、合計356ポイントを戦った。残った観客は総立ち。「ケイ」コールが響き渡る。錦織の初めてのマッチポイント。息をのむ1分間のラリーの末、錦織のバックボレーが静かに相手のコートに弾んだ。

 ネット際で、紅潮と日焼けでほおを赤くした錦織は仁王立ち。チャン、ダンテの両コーチは、関係者席で跳び上がった。「こんな時間まで試合をしたことがない。でも、最高の気分」。今大会最長の4時間19分のフルセットを戦い、最後は両手を広げ、最高の笑顔で勝利を祝った。

 セットを分け合って迎えた第3セット。錦織は、相手のサーブで8度のブレークポイントを握った。しかし、その度に相手の爆弾サーブで好機を逸し、1度もサービスゲームを破れず。終わってみれば、一瞬のスキを突かれ、タイブレークでこのセットを落とした。

 加えて、最速232キロのラオニッチのサーブで、合計35本のエースと16本の決定打をたたき込まれた。いつ崩れてもおかしくない追い詰められた緊張感の中、決して心は折れなかった。「最後までファイトした。決してあきらめなかった」。食らいつき、時には電光石火のような高速リターンで、相手のミスを誘った。

 08年初出場で16強入りした思い出の地で、92年ぶりに日本男子の歴史を動かした。「記録を打ち立てられたのはうれしい」。自身としては、全豪に続く4大大会8強入り。2度以上の4大大会ベスト8は、日本男子では戦後初めて。4大大会のセンターコートで勝ち星を挙げたのも、自身6度目の出場で初めてとなった。

 8月4日に、右足の母指球脇にできた腫れ物を切開手術。抜糸しコート上の練習を再開したのは19日と、全米開幕の6日前だった。「今も驚いているし、戻ってこられたのは信じられない」。不安だった1回戦をストレートで勝ち「手応えをつかんだ」。試合をする度に感覚が戻り、調子を上げ快挙につなげた。

 それでも「決勝に行くまではなかなか喜べない」と頼もしい。準々決勝は、0勝2敗と相性の悪いワウリンカが相手だ。しかし、この勝利で自信がみなぎる。「勝てない相手はもういない」。日本男子96年ぶりの4強入りだけでなく、4大大会史上日本人初のシングルス決勝進出も夢ではなくなった。【吉松忠弘】

 ◆全米最も遅い終了時間

 今回の錦織戦と同じ午前2時26分に終了した試合が、過去に2回ある。93年2回戦のビランデル対ペルンフォルス、12年3回戦のコールシュライバー対イスナーだ。錦織戦を含め、この3試合が全米で最も遅く終了した試合。午前2時を回ったのは、計4試合ある。

 ◆清水善造(しみず・ぜんぞう)1891年(明24)3月25日、群馬県生まれ。1920年に日本人としてウィンブルドン初出場。いきなり現在のベスト4に相当する挑戦者決定戦決勝に進んだ。識者のつくる世界ランキングで20年9位、21年4位。対戦相手が転倒した時に、山なりの球で起きるのを待った逸話は教科書にも掲載された。引退後はデビス杯日本代表監督を務めた。77年4月、86歳で死去。

 ◆WOWOW放送予定

 3日午前7時55分~、4日午前1時~、WOWOWライブ。第9日ナイトセッション、第10日デイセッション。男女4回戦、準々決勝ほか。生中継。放送時間変更の場合あり。