経験という最大の武器を、日本一チームに還元する。日本ハムに入団が決まった前インディアンス3Aの村田透投手(31)が8日、札幌市内の球団事務所で会見を行った。巨人では未勝利だったが、6年間の米国生活で精神的にもタフに成長。技術もレベルアップした。先発、中継ぎ両方をこなせる実績はあるが、栗山英樹監督(55)は、まずは先発ローテーションとして期待。村田は「自分の数字はどうでもいい」と、チームのために尽くす覚悟を決めた。

 たったひとりで海を渡った男が、無数のフラッシュを浴びて所信表明した。7年ぶりの日本球界復帰。大きく成長した村田が、力強く思いをぶつけた。「ただ勝利に貢献する。それだけ。自分の数字はどうでもいいと思っている。自分のやることを貫くだけ」。同席した栗山監督は「外国人枠だと思っている」と高い期待をかけた。

 6年間の米国生活が、村田を大きく変えた。通訳もつかず、単身乗り込んだ米球界だった。マイナーでは連日行われる試合、10時間を超えるバス移動。「人種も違うし、仲間もいない。どうやってなじむかだった」。誘われた食事には、全部ついていった。「それでかわいがられたりした」。自分で自分の居場所をつくっていった。「もともと繊細(な性格)だったと思うけど、向こうに行って学べた」。次から次へと降りかかる困難が、マウンド度胸にもつながっていった。

 投球スタイルも変化した。チーム内で厳格に設けられた球数制限。「三振は気にしていない。いかにして球数を少なく、アウトを取るか」。カットボールやツーシーム、細かく動くボールが投球の主体となった。日本の統一球を手にするのは7年ぶり。「投げてみて。ボールと相談になる」とは話すが、米国で培われた投球術が基本線になる。

 取材者としてマイナーリーグの環境には何度も足を踏み入れている栗山監督は「本当に大変。タフだと思う。(村田の取り組む姿勢は)他の選手も影響を受けるはず」。先発ローテ入りを求めるとともに、若手の多い投手陣にも好影響があることを期待した。

 日本の野球については「そんなに見ていないんですよね。パ・リーグはDHがあるっていうくらいで…」と苦笑い。「テレビの人(芸能人)の名前も出てきにくかったりします」と、こちらも“外国人助っ人並み”だが、それこそが、厳しい戦いの場に身を置いてきたことの証し。「やることは一緒。野球は野球」。連覇を目指すチームに、力強い戦力が加わった。【本間翼】

 ◆村田透(むらた・とおる)1985年(昭60)5月20日、大阪・熊取町生まれ。大体大浪商-大体大。07年大学・社会人ドラフト1巡目で巨人入団も、1軍登板なく10年限りで戦力外。同年12月にインディアンスとマイナー契約を結んだ。メジャー登板は15年の1試合で1敗、防御率8・10。今季は3Aで33試合(10先発)9勝4敗4セーブ、防御率3・78。マイナー通算164試合(99先発)46勝28敗6セーブ、防御率3・76。183センチ、80キロ。右投げ左打ち。

<村田一問一答>

 -今の心境

 村田 すごくうれしく思っています。1日でも早くユニホームを着て、ファイターズの一員として活躍できるように頑張りたい。

 -日本球界復帰を決めた理由

 村田 去年(のオフ)いろいろなチームから話をもらって、現実味が出てきた。去年はもう1回米国でやろうと決めたけど、(日本ハムから)いいお話をもらって、(日本の)第一線でやりたいと思った。

 -住まいは

 村田 まだ決めていません。ひとりなので寝るところさえあれば。それは(米国で)学んだので。

 -英語は堪能

 村田 どうでしょう。あいさつくらいは。ちょっとしたときに英語が出てしまうことはあるんですけど、「アメリカ人ぶってる」と言われるのも嫌なので(笑い)。できるだけカタカナを使わないように、頭を使います。

 -ファンへ

 村田 1日でも早く顔と名前を覚えてもらえるように、頑張っていきます。