伝統を引き継ぐ。巨人坂本勇人内野手(28)が、胸に秘める思いの一端を明かした。プロ10年目を終えた今季は、自身初のゴールデングラブ賞、打率3割4分4厘で首位打者、最高出塁率のタイトルを獲得。生え抜きの看板選手として攻守でチームをけん引した。一方、就任2年目の主将としては、2年連続で優勝を逃し苦汁をなめた。ふだんクールな印象が強い男だが、伝統球団の主力としての使命感がさらなる高みへと突き動かすと熱く語った。

 プロ10年間で1276試合に出場し、1402安打、150本塁打。積み重ねてきた数字は、この先、もっと大きくなっていく。坂本が節目のシーズンまでに記した足跡は、高橋監督の評価にも比例する。来季の構想として指揮官から日本人では4番筆頭候補に挙げられた。「チームが勝つために任せられたところでというのが大前提。ただ、目の前に壁があるなら乗り越えるためにチャレンジをしないといけない。そういう気持ちがないと野球がうまくならない」と受け止めた。

 トップ選手への転機は、1年目オフの自主トレだった。当時主将だった阿部から、米グアムでの自主トレ同行を許された。「2軍選手だった自分を連れて行ってもらい、18歳では知らない世界を見せてもらった。現地で一緒に生活して、いろんな話をしてもらった。この人たちと同じ舞台で野球をしたいと強く感じたことを覚えています」。想像を上回る世界観に圧倒されながらも、若き日の坂本にとっては、これ以上ない刺激を得た。

 15年から阿部の後を受け主将に就任した。「伝統球団としての重みを今までよりも感じます。日本で1番の球団、その主力として引っ張っていかなければいけない」と引き締めた。重圧から逃げようとはしない。先輩から引き継いだ伝統とは「(高橋)監督、上原さん、二岡さん、阿部さんたちの背中を見て野球をしてきた。試合に対する思い、ジャイアンツに対する思い、プレッシャーと闘う姿を見てきた。自分も、そのステージまでくることが出来たかなと思っている」と理解している。目で見て、肌で痛感した先輩たちの実像が根底にある。

 常勝を義務づけられた伝統球団の主将として来季も、不変の心構えで挑む。元来は積極的にリーダーシップを発揮するタイプではない。小学時代に主将を経験するも、それ以降は無縁だった。「ジャイアンツでしか感じられない重みがある。今は受け止められるようになってきた。それが当たり前の中でやってきた。もっと、楽しくとは思わない」。12年以来5年ぶりの日本一へ-。目標ではなく使命として捉えている。【為田聡史】

<坂本の10年>

 ◆1年目(07年) 7月に代走で初出場。この年は4試合に出場。初安打初打点を記録した。

 ◆2年目(08年) 球団では松井秀喜以来の10代開幕スタメン入り(8番・二塁)。球宴に初出場。日本シリーズで西武西口から本塁打を放つ。高卒2年目では史上3人目の全試合スタメン出場を果たし、新人選手特別賞を受賞した。

 ◆3年目(09年) 打率3割6厘をマーク。高卒3年目以内の3割は史上11人目。リーグ最多得点(87得点)でベストナインにも輝いた。初の日本一を経験。

 ◆4年目(10年) 球団の遊撃手最多の31本塁打を放つ。オフに年俸1億円(推定)に到達。

 ◆5年目(11年) 2年連続で全試合出場。

 ◆6年目(12年) 初の打撃タイトルとなる最多安打(173安打)を獲得。3年連続4度目の全試合出場。3年ぶりの日本一。

 ◆7年目(13年) WBCに初出場。オランダ戦で満塁本塁打を放った。

 ◆8年目(14年) 3月に通算100本塁打。5月に史上3番目、セ・リーグ最年少での通算1000安打。10月に通算100盗塁。

 ◆9年目(15年) 主将に就任。8月に国内FA権を取得した。

 ◆10年目(16年) 打率3割4分4厘、出塁率4割3分3厘で初の首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得。遊撃手の首位打者はセ・リーグ初。ゴールデングラブ賞も初受賞した。