球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが16日、都内の野球殿堂博物館で発表された。監督歴代10位の1181勝を挙げた楽天星野仙一副会長(69)と、大洋(現DeNA)で通算201勝を挙げた平松政次氏(69)はエキスパート表彰。黄金期の西武を正捕手として支えたロッテ伊東勤監督(54)がプレーヤー表彰を受けた。

 候補者となってから9年目の殿堂入りだった。平松氏は壇上に立つと「夢ではないか」と口を開き、自らのほおをつねった。「あーっ、痛いです」。

 「巨人キラー」として名をはせた。通算201勝のうち、51勝が巨人だった。「川上(監督)さんに平松をとっときゃよかったと思わせたかった」と振り返る。66年のドラフト直前、巨人が1位指名を確約した。ところが名前はなく、指名は大洋だった。大ファンだった4番長嶋にも真っ向立ち向かった。

 長嶋は平松登板の際、打席で不思議なしぐさをした。スイングする直前、構えたバットの握りを緩め、短く持ち替えた。200勝達成パーティーで長嶋がこう説明した。「巨人の4番が短く持って打席に入ることはできません。でも長く持ったら、あのシュートは打てない。だから瞬間的にそうしたんです」。

 通算3割5厘の長嶋を1割9分3厘に抑えた。そのシュートに「カミソリ」の名前がついた。縫い目に指をかけず、速球と同じように腕を振った。入団3年目の静岡キャンプ、故近藤和彦氏から「持ち球はそんなもんか」と言われ「シュートがあります」と、初めて投げた球だった。

 65年のセンバツを制した右腕。センバツ優勝経験者の殿堂入りは王貞治以来6人目となる。【米谷輝昭】

 ◆平松政次(ひらまつ・まさじ)1947年(昭22)9月19日、岡山県生まれ。岡山東商時代の65年センバツでは39回連続無失点の大会記録をマークし優勝。66年2次ドラフト2位で大洋に指名され、日本石油で都市対抗優勝後の67年途中から入団。69年から12年連続2桁勝利を挙げ、球団唯一の200勝投手。70、71年最多勝。79年最優秀防御率。70年沢村賞。84年の引退後は野球解説者。