<ソフトバンク7-6西武>◇28日◇ヤフオクドーム

 ソフトバンクがサヨナラ勝ちでクライマックスシリーズ(CS)圏を死守した。敗れると4位転落する西武との直接対決。3点ビハインドを8、9回で追いつくと、延長10回2死一塁から長谷川勇也外野手(28)がサヨナラ三塁打を放った。マルチ安打の長谷川は球団新記録となる今季192安打で、大台まで残り6試合で8安打。斉藤和巳氏の引退セレモニーに花を添えた。

 一塁側ベンチは空っぽだった。重苦しさから解放してくれたバットマンを輪の中心に置き、ナインはまるで優勝したようにはね回った。「まだ興奮状態の中にいるので何も言えません」。お立ち台の長谷川も珍しく声が上ずった。今季6度のサヨナラ勝ちで3度サヨナラ打を放ったが、今回だけは格別の感情が湧いた。

 普段はその試合の意味を頭から除外する男が「その意識があったがために力みが出た。ここからはぎりぎりの戦い」と漏らした。負ければ4位。西武とのCSをかけた直接対決に珍しく体をしばられ、4打席連続凡退。「もう1試合が終わって、これが1打席目ととらえた」。先頭で打席に入った9回を“2試合目”と考え、初球を右前打。柳田の適時打で同点ホームを踏み、延長に持ち込んだ。

 打ち始めのわずかなずれに気付き、ベンチ内でバットを握り、何度も構え直していた。「それまではいつものおれじゃないな、と」。200安打を狙う安打製造機の「修理」はすでに終わっていた。「だから狙っていない球に反応できた。淡泊なスイングなら無理」。延長10回2死一塁から大石の変化球に腰を粘らせ、バットの先でつかまえ、ライト線へ運んだ。確固とした背景のある一打だった。

 3度あった3点差を追いつき、最後にひっくり返した。「いやあ、まあよく追いついたよ」。自軍の粘りを秋山監督は驚きをもってたたえた。チーム一丸で連敗を3で止め、2位ロッテとも2ゲーム差。一時代を築いた斉藤氏のセレモニーにも花を添えられ、満員観衆も酔いしれた。

 長谷川は残り6試合で8安打ならシーズン200安打にたどり着く。チーム全体も9月になって失いかけた執念を、自分たちで取り戻した。「みんな勝ちへの執念があった。打席に入っている人だけでなく試合を退いた人も持っていたと思う。一体感はすごくいいきっかけになる」。リーグVは逃した。下克上があるとするなら、きっとここが大きな分岐点だ。【押谷謙爾】

 ▼ソフトバンク長谷川が5月3日西武戦(左安)9月15日日本ハム戦(右2)に次ぎ今季3本目(通算4本目)のサヨナラ安打。サヨナラ三塁打は09年6月28日に関本(阪神)が横浜戦で記録して以来で、球団ではダイエー時代の99年8月8日に林が近鉄戦で放って以来14年ぶりとなった。

 ▼長谷川は今季192安打とし、10年川崎の190本を上回るシーズン最多安打の球団新。残り6試合で史上6人目(7度目)の200安打を狙う。球団の外野では55年飯田徳治(南海)以来の全イニング出場も目前。途中交代のない全イニング出場で首位打者なら69年王(巨人)95年イチロー(オリックス)01年松井(巨人)10年西岡(ロッテ)に次ぎ5人目になる。<長谷川勇也(はせがわ・ゆうや)アラカルト>

 ◆生まれ

 1984年(昭59)12月22日、山形県鶴岡市出身。

 ◆経歴

 大泉小3から「大泉スポーツ少年団」で軟式野球を始め、鶴岡第四中から酒田南。1年秋に投手から外野手に転向。2年夏から3季連続で甲子園出場。専大では1年春からレギュラーで3年秋に東都リーグ2部の首位打者。4年秋は6本塁打でMVP、9季ぶり1部復帰に貢献。

 ◆プロ

 06年大学・社会人ドラフト5巡目でソフトバンク入団。1年目の07年は左太もも疲労骨折でほぼリハビリに費やし、08年に1軍初昇格。初めて規定打席に到達した09年はリーグ4位の打率3割1分2厘。今年の交流戦は史上最高打率4割1分8厘でMVP、6月には初の月間MVP。

 ◆背番号24

 入団時は「30」で昨年から大学時代につけた愛着のある番号をもらう。

 ◆サイズ

 180センチ、85キロ。右投げ左打ち。家族は夫人と1女。