元巨人監督で日刊スポーツ評論家の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が、28日午後4時58分、老衰のため、東京・稲城市の病院で死去した。93歳だった。

 川上氏は、時流の1歩先をいく打法に取り組み「打撃の神様」と称されるまでになった-。

 戦前から選手、指導者、解説者として長く野球界に携わり02年に野球殿堂入りした故中沢不二雄氏が、川上氏の2000安打達成時に本紙で解説している。同氏は川上氏のプレーを熊本工時代から見る機会があり、当時は「心持ち首を左にかしげ両拳を少し上に置いた」構えだったと記憶している。巨人入団後の40年に満州で行われた試合での印象は「スタンス、握り、いつでも打てる構え、ヘッドアップしない首の安定、球を見る目、バットを立てず、寝かさず、肩に力を入れず、これは打つぞ」だった。

 軍隊生活を挟んでの巨人復帰後、打法は確立されていく。戦後、本塁打流行時代の到来とともに川上氏も軽くて長いバットを少し立てて、球の下部にミートする打法に変化した時期があったという。しかし「そのホームラン時代に逆行するように、また元のようにバットの立て方を少なく球の中央をたたき、腰の回転に留意する打法に戻ったようだ」と指摘。また「投手の進歩-変化球の操作がうまくなることに備え時流より1歩前進、短い軽めのバットを使うようにしたのは賢明」とみている。

 51年に打率3割7分7厘を記録するなど高いレベルで安定したことには

 (1)左投手がカーブで、右投手がシュートで外角を狙ってきた場合、腰の高さ、それから球2つくらいの高さまでは左翼に痛打するようになった

 (2)以前は打席に入ってからバットを振ったり左足を無意識に小刻みに動かしたりしていたのが動かず、揺れず、球を待つ態勢が万全となった

 (3)以前に増してカーブを狙い打つことが多くなった

 この3点を挙げて「大打者のさえを一段と磨き上げたと思う」としている。