<中日6-0阪神>◇5日◇ナゴヤドーム

 やったぜレジェンド、最強の49歳だ!

 中日山本昌投手が球界最年長勝利を挙げた。49歳25日のベテラン左腕は阪神戦で今季初先発し5回を5安打無失点にまとめた。阪急浜崎真二が50年にマークした最年長出場、登板、先発のプロ野球記録(いずれも48歳10カ月)を全部更新。浜崎の48歳4カ月を塗り替える勝利を収め、ナゴヤドームでウイニングボールを握りしめた。

 山本昌が球史に新たな、そして大きすぎる1ページを刻んだ。お立ち台で無数のフラッシュを浴びた49歳は満面の笑みを浮かべた。「みなさんに感謝しています。ファームのスタッフや家族もバックアップして送り出してくれた」。64年ぶりとなる球界最年長勝利の更新。半世紀以上も塗り替えられることがなかった歴史が、ついに動いた。しかもプロ31年目の今季初登板、初先発で決めた。

 ダイナミックなフォームで躍動した。「ペース配分なんて考えなかった。捨て身で壊れてもいいと思った」。1回。先頭上本に中前打を浴びるなどして1死三塁のピンチを招いたが、続く鳥谷の二ゴロで本塁タッチアウト。最後はゴメスを直球で見逃し三振に仕留めた。味方の好守にも助けられ、5回で5安打されながら無失点。魂の90球。大ベテランの気迫が首位を争う阪神打線を黙らせた。

 鉄腕の源流は半世紀近く前。4200グラムという当時の病院記録で誕生した山本昌は1歳2カ月のころ、アパートの2階ベランダから4メートル下の地面に転落したことがある。頭蓋骨を骨折し、救急搬送された。頭の形が変わるほどの重傷で、生死の境をさまよった。地面が土だったこと、まだ乳児で頭蓋骨が軟らかかったことが幸いし、九死に一生を得た。生まれたときから丈夫な体と強運の持ち主だった。

 「ほんとに幸せな野球選手です」

 口癖を、偉業を達成したこの日も繰り返した。無名だった高校球児を、敏腕スカウトとしてならした故高木時夫氏がプロの世界に導いた。クビ寸前だった23歳の青年を救ってくれたのは野球留学先の故アイク生原氏(元ドジャース会長補佐)。打者に向かっていく姿勢をたたき込まれた。ベテランと言われ始めた96年には初動負荷理論の小山裕史氏に出会い、体の仕組みを学んだ。いつも誰かが手を差し伸べてくれた。

 「野球の神様」が見ている-。だから野球に対して誠実に向き合う。今季のキャンプも無休の27連勤。春先に体調を崩し、球場に来られないときも自宅近くで体を動かした。49歳になっても練習では50メートル10本のダッシュメニューは欠かさない。

 もう限界…。そんな周囲の声も聞こえてきた。ただ、「ダメかもと思うことはあっても諦めることはなかった」。腐ることはなかった。来季は区切りの50歳を迎える。どこまで出来るか分からない。それでも最後の最後まで食らいつく。それがここまで野球を続けさせてくれた「野球の神様」への恩返しだと思っている。【桝井聡】

 ◆山本昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県生まれ。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。主なタイトルは最多勝3度(93、94、97年)最優秀防御率1度(93年)最多奪三振1度(97年)ベストナイン2度(94、97年)。94年には沢村賞に選ばれた。186センチ、87キロ。左投げ左打ち。推定年俸4000万円。家族は夫人と1男1女。

 ▼49歳0カ月の山本昌が9番投手で先発し、5回無失点で今季初勝利。出場、投手として登板、先発、奪三振、被安打、与四球、打者としての打席は、50年11月5日浜崎(阪急)の48歳10カ月を抜いて、64年ぶりにプロ野球の最年長記録を更新した。勝利投手は50年5月7日浜崎の48歳4カ月を更新。先発投手としての勝利は、自らが昨年8月28日に挙げた48歳0カ月を更新した。