久々に盛大な引退式だった。主役は国内最多5階級制覇した湯場忠志。まずはミドル級の東洋太平洋と日本の2冠王者柴田とスパーリング。息が切れると「腹を打ってやれ」のやじに笑い。花束、記念品、激励賞が贈られ、最後にテンカウントが鳴らされた。

 高卒後にボクシングを始め、96年にプロデビューした。世界には届かなかったが、58戦で46勝(33KO)10敗2分けで25試合がタイトル戦。地元宮崎の都城レオジム所属ながら、後楽園ホールで36戦をこなした。人生の半分の19年が過ぎた。

 倒し、倒されの激闘も多く、記録だけでなく記憶にも残る。「ボクシング人生は続きます」とあいさつすると涙が落ちた。日章学園1年の長男海樹に夢の世界王者を託し、地元にジムを開いてサポートしていく。

 この10日の興行は8回戦をメーンに8試合あった。湯場の引退式はメーン直前だったが、前座でもう1人引退した。4試合目に登場したサルサ岩渕(伴流)。トランクスが目につく。赤いベルト部分の背中側に、銀色で「脱原発」の文字が入っている。

 東日本大震災後の12年に6年ぶりでリング復帰した。その試合からこのトランクスをはく。原発事故への政府対応に疑問を持ち、「結局は金もうけのためにやっている」。仕事を終えた後に官邸前や各地でのデモにも参加。トランクスは抗議行動の1つだった。

 長野・安曇野から上京して神奈川大に進み、卒業後に「体を動かしたい」とボクシングを始めた。タウンページで探した伴流ジムに入門。初回KOデビューも2戦目は初回KO負け。一念発起して単身で米ロサンゼルスへ修行にも行った。

 東日本新人王予選敗退で1度引退し、商社マンで世界を飛び回った。その後転職し、現在はIT企業のプロジェクトマネジャー。リングネームは公演経験もあるサルサからつけた。12年に新人王再挑戦で現役復帰も敗退。13年にはマレーシアで交通事故に遭い、この試合は3年ぶりだった。

 国内には37歳で引退ルールがある。湯場は昨年1月で37歳も元王者で特例出場していた。岩渕は試合の1週間後が定年だった。ラストファイトは0-1で引き分け、通算4勝(3KO)4敗1分けとなった。

 「勝てなかったけど、負けなくてよかった。いろいろあったけど、ここまでやったかいはあった。こんな戦績で引退試合までやらせてもらえて」。有名無名の違いはあるが、個性的ボクサー2人が同じリングで現役を終えた。【河合香】