72年ミュンヘン五輪で、柔道界唯一の2階級制覇を達成したビレム・ルスカさん(オランダ)が、2月14日に亡くなった。74歳だった。ルスカさんは「赤鬼」というニックネームで恐れられた柔道での活躍も有名だが、その後のアントニオ猪木と演じた異種格闘技戦でも、世界にその名を知らしめた。

 76年2月6日、日本武道館で行われた「格闘技世界一決定戦」。この試合こそが、後に一世を風靡した異種格闘技の記念すべき第1戦となった。柔道とプロレスを背負ったルスカさんと猪木の激闘。ルスカさんは、猪木のバックドロップ3連発に沈んだ(TKO負け)。しかし、この戦いが評価され、その後も猪木と激闘を繰り広げていく。

 2月19日、東京・新宿のアントニオ猪木酒場で行われたGENOME32大会の前夜祭。そこで、猪木はルスカさんの思い出話を語った。「みんな、アリとの戦いが異種格闘技の最初だと思っているけど、ルスカが最初だったんだ。すごい選手でしたね」としんみりした様子で話し出した。

 その後新日本にも参戦したルスカさんと、地方巡業などで一緒にすごすことも多かったという。「彼はウォークマンが好きで、当時流行ったABBAをよく聞いていた。昔は日光浴で肌を焼くことも仕事で、地方に行くとホテルの屋上で2人で日光浴をしたもんだよ」。

 ルスカさんは、01年に脳梗塞を患い、その後アムステルダム市内の老人ホームで過ごしていた。十数年前、そのアムステルダムに猪木はルスカさんの見舞いに訪れたが、会うことはできなかった。「病気をしたと聞いて、会いたかったんだが、本人が会いたくなかったのかな」という猪木の目に涙が光っていた。

 異種格闘技戦で3度戦い、いずれもルスカさんを破った猪木だが、「今の時代だったら、彼はもっと活躍していたよ。練習熱心で、サンボなんかも練習してたんだよ」と、猪木はライバルを思いやったが、ルスカさんは、柔道だけでなく格闘技界に大きな足跡を残した。

 2歳年下で、今年年男の猪木は、前夜祭で行われた黙とうにあえて参加しなかった。「みんな旅立ちがあるんでしょうが、オレはあの世に行くにも元気がないと旅立ちできないよ」と悲しみを、得意のジョークで紛らせた。前夜祭では、翌日2月20日の誕生日を祝い、バースデーケーキでセレモニーも行われたが、猪木は、最後まで寂しそうに見えた。【バトル担当=桝田朗】