王者山中慎介(33=帝拳)が、国内歴代3位タイとなる10度目の防衛に成功した。前WBA世界スーパーフライ級王者ソリスから2回に先にダウンを奪うも、3回に2度のダウンを返されるピンチを迎えた。それでも、9回に左で再び倒し、ジャッジ3人がともに10ポイント差をつける3-0の判定勝ちで、苦しい試合を乗り越えた。具志堅氏、長谷川、内山に続く史上4人目のV10を果たし、歴史に名を刻んだ。

 危なかった。2回にカウンターの右フックでダウンを奪うなど最高の立ち上がりを見せた山中だったが、直後に落とし穴が待っていた。「距離がかみ合って、一気にいきすぎた」。カウンターの右ストレートをもらい、防衛戦では初のダウン。会場のざわめきが消えぬ中、続けざまに不用意に攻撃を仕掛けると、打ち終わりにまたしても右をもらい、腰から崩れ落ちた。

 だが、「あれで目が覚めた」。冷静さを取り戻すと、世界戦11試合目の経験が生きた。セコンドの指示通りに足を使って窮地を乗り切ると、中盤からは左のボディーストレートを連発し、流れを奪取。9回には打ち下ろしの左でダウンを返し、一方的な展開につなげた。国内では3人しか達成していないV10の偉業も、喜びは半減。「もっと強い姿を見せたかった。悔しい」と唇をかみしめた。

 節目の防衛戦、高校時代を過ごした京都凱旋(がいせん)、決戦当日が沙也乃夫人の31歳の誕生日と、気合の入る要素はそろっていたが、試合まで2週間に迫っても調子は上がらなかった。蹴り足である左足首の違和感が原因で、パンチのバランスを崩した。スパーでは得意の左ストレートに体重が乗らず、何度も首をかしげた。それでも、KOを量産してきた左への信頼は揺るがない。小手先の調整に逃げず、もがき続けてトンネルを抜けた。

 ポイントで大きくリードして迎えた最終12回には、その左でしゃにむに倒しにいった。距離を詰め、鬼気迫る表情で連打。「もう少し早い段階でいけていれば」と悔やんだが、大量の鼻血を流す挑戦者をKO寸前まで追い込む意地を見せた。デビュー戦からコンビを組む大和心トレーナーは「入門した時に左ストレートしかなかった選手が、左だけでここまできた。頑固さも慎介の強さ」と言った。

 具志堅氏の13回の記録更新にも期待が集まるが、「数字は気にしていない」と山中。追い求めるのは、強敵との対戦のみ。「世界王者になりたい」と、15歳で始めたボクシング。その原点の地で、苦しみながらも大きな勝利をつかんだ。【奥山将志】

 ◆山中慎介(やまなか・しんすけ)1982年(昭57)10月11日、滋賀・湖南市生まれ。南京都高1年でボクシングを始め、3年時の国体で優勝。専大ボクシング部で主将。06年1月プロデビュー。11年11月にWBC世界バンタム級王座獲得。家族は夫人と1男1女。