13日の試合で亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)が、プロレスラーの「再就職サポート」に着手していた。19日、ノアの仲田龍統括本部長(47)が明かした。引退した選手の受け皿となる飲食店の出店も計画中で、11年春に本格的に動きだす予定だった。同本部長が最後に三沢さんに会った9日の静岡大会でも「引退した選手の仕事先を手伝えるシステムをつくる」と力説していたという。

 三沢さんはプロレスラーの「第2の人生サポート」を、プロレス人生の集大成にしていた。「引退したレスラーの仕事先を手伝えるシステムをつくる」。急死する4日前、9日の静岡大会の控室で、仲田本部長はあらためて三沢さんから聞かされた。それが最後の会話になった。

 夢実現へ、すでに三沢さん自らが動いていた。昨年、CM契約をしている不動産仲介業などを手掛けるザ・リーヴの佐藤和弘社長と30回以上顔を合わせ、不動産業のノウハウを聞いた。神奈川県内の知人の飲食業オーナーとは、共同出資で新店舗出店プランが進行中で、引退したレスラーの受け皿になる構想を描いてた。「2年間かけてシステムづくりをして、11年春には形になる予定だった」と仲田本部長は話した。

 きっかけは02年7月。付け人で全日本時代のユニット「超世代軍」の一員だった浅子覚が、頸椎(けいつい)負傷で31歳の若さで引退した。浅子はその後、苦労して柔道整復師の免許を取得し、ノアのトレーナーになった。しかし、三沢さんはその過程で、決して選択肢が広くはない、レスラーの再就職の難しさを感じていたという。

 「辞めていく人、辞めていかざるを得ない人のことをいかにサポートできるか。そのことを常に話していた。いろいろ勉強を始めていたのに」と仲田本部長。プロレスを愛し、プロレスラーを愛した、いかにも三沢さんらしい発想と行動。この情熱をプロレス界が引き継いでほしい。【塩谷正人】