乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



以前、歪曲(わいきょく)的な感情表現と言ったのは、

私の中にある悲しみと怒りの

関係性についてである。



私は、悲しいという感情を

怒りに出力することでしか表現できない。



人前では特にそうで、ここ1年程は

自分が内省しているときにもそうだった。



内省は、自分を意識的に見つめ直すことだ。



そこには、自分がどんな感情を抱いたか、

そのものとどう向き合っていたのかも含まれ、



それらを客観的に捉えることで

自分を理解し、

より良い生活、自らの言動へと繫げていく。



私は人より内省をする方だと思う。



結果としてそれが、

自らの言動を変えられているかは不確かで、

何にも繫がっていないと言えば

そんな気もするけれど、



自分を、自分の心の内を

理解しようとすることは

諦めたくないのである。



自分が本当に思っていること、

これからどうしたいのか、

どう変わりたいのか



本音と建前の両面から

自分を見つめることで、

自らの不純さに気づくことができる。



自分の悪い部分はわかっているけど、

そこも含めて

認められたいと思っていること、みたいな



そういうしたたかな自分が見えてくるのだ。



自己嫌悪の加速。




したたかであることに抵抗があるのは、

周りにうそをついているような

感覚があるからで、



自分という人間に

一貫性を持っていてほしいと思っている私は、

できるだけまっすぐでありたいのだ。




そんなことを考えるうちに、

考えることしか能がない私は、

自分の思想と向き合うことで精いっぱいで、

感情を素直に受け止められなくなった。



これが、

悲しみを怒りに出力することでしか

表現できないという話である。



自分は間違っていないと思い込むための

過剰な正しさの横暴、



そこには不必要な開き直り、

逆張りが大いに含まれている。



主観ではなく、あくまでも私は

自分のことを客観的に話していますよ、

と見せかけの冷静さを盾にすることで、

自分の本当の感情にふたをして、

理屈だけで話ができたように思い込む。



私の悪い癖だ。




マイナスな感情に対しては、

理屈っぽく考えることが

何よりの自己防衛に繫がる、

目の前の事実だけを見つめ直すことで、

自分に余計な負担をかけずに済む。




本来の自分を見つめなければ、

良い内省とは言えないはずなのに、

内省を重ねるほどに

それができなくなっていた。




周りが想像している

自分に対してのプライド、

私がこうありたいと思っている

自分へのプライド。



強くいたいという面倒臭い意地を張って、

私は私の大切な感情を

無かったことにしていたのだ。





先日、私は3日連続泣いた。



誰かや何かが問題だったわけではなく、

自分に対しての感情があふれた日だった。



それにしても泣きすぎである。




だいたい夜は感傷的になるものと聞くので、

心配されるほど

おかしいことではないと思うが、



私が私の弱さを認めるような出来事が

3日も連続して起きたのは

なかなかの奇跡だと思う。



悲しみを怒りに変えない、

悲しいという感情を認める。



頭では理解していて、言葉にすることで

課題認識できたつもりになっていたけど、

あの3日間で本能的に

分からせられた気がする。



本当に、とても良いきっかけである。



自分を、そして他人のことも

認められる寛容さが

私にはもっと必要だなと思った。






なんだか今週の文章は、いつも以上に

とっ散らかっている気がするけど、

感情に素直になれたということで

よしとしてください。



ではまた来週