あの人の教えがあったからこそ今がある。北海道にゆかりある著名人たちの、転機となった師との出会いや言葉に焦点をあてた「私の恩師」。先生が教えてくれたギターが、役者への道を切り開いた。俳優伊吹吾郎(69)は、釧路工高時代に弾き方を個人指導してくれた故永田秀郎氏を恩師と仰ぐ。09年に75歳で亡くなった師との出会いに感謝の気持ちを込め、約50年前の駆けだしの頃を懐かしそうに振り返った。

 この世界に入るにあたって、ギターはいつも段階を踏む時の力になった。

 66年、20歳の時に東宝ニューフェースの試験を受けた。なんと1万3000人。どんどん落とされていって、最後に「一番得意なことをやれ」と言われて。皿回しやバナナのたたき売りの実演をする人たちがいる中で、僕はギターを弾いた。それで男4人、女6人の合格者に入ったんだよね。

 東宝俳優養成所に入って、6カ月間の養成期間があった。有楽町に養成所があったんだけど、銀座のヤマハ楽器や山野楽器に並んでいるギターを見るのが楽しみで。最初の3カ月だけは真面目に通ったけど、4カ月目からは、毎月25日に5000円の交通費が支給されるので、20日くらいに行って5日間通ったらぴたっと行かなくなった。

 すると事務所の人に怒られて。(養成所では)最後に東宝の重役に見せるための試演会をするんだけど、役はもらえないと言われていた。ところが演出家はレッスンをしていた先生ではなく、外部から来た人。「このたび『流浪の民』をする。誰かギターを弾けるやつはいないか?」って聞くわけ。で、主役になっちゃった。大ブーイングでしたね。

 ギターとの出会いは、高校に入学して1カ月くらいがたった時。当時は廊下が長い校舎だった。放課後に歩いていたら、古賀政男の古賀メロディーが聞こえてきた。職員室をのぞいたら、永田先生が弾いていた。感動して「教えてください」とお願いして。親に3000円のギターを買ってもらって、毎日放課後マンツーマンで教えてもらった。

 初めて弾けるようになったのは古賀政男の「酒は涙か溜息か」だった。教え方が上手でしたよ。永田先生は演劇部を受け持っていて。ギターを教えてもらうのに、部活が終わるのをじっと待っていた。その時、芝居を目にしている。20歳でニューフェースを受ける時も、その時に見ていた芝居ってものが、脳裏に焼き付いていたのかもしれない。

 背中を押してくれる人と巡り合った。ギターをやってなかったら、人生の方向性は変わっていただろうね。1月に番組の撮影で釧路に帰った。お墓参りにも行って来ました。【取材・構成=保坂果那】

 ◆伊吹吾郎(いぶき・ごろう)1946年(昭21)1月2日、熊石町(現八雲町)生まれ。釧路工高-国士舘大。65年に日本映画テレビ演劇学院入所、66年東宝第7回ニューフェースに合格し、東宝俳優養成所入り。68年にドラマ「無用ノ介」で主演デビュー後は「水戸黄門」「必殺仕事人」など多数出演。近年は「秘密のケンミンSHOW」などバラエティー番組でも引っ張りだこで、12年4月から今年8月まではSTVのバラエティー番組「マハトマパンチ」の司会を務めていた。