芸能プロダクション、石井光三オフィス会長の石井光三(いしい・みつぞう)さんが肝内胆管がんのため6日午後6時5分に都内自宅で死去していたことが13日、事務所から発表された。83歳。葬儀・告別式は近親者のみですませた。お笑い番組などで、個性派キャラが「石井社長」として人気だった。この日都内で所属タレント、ラサール石井(59)が取材に応じた。

 ラサールは「弁当ありまへんか?

 弁当、弁当!」「きみらおもろいな~」など、ものまねしながら、石井会長をしのんだ。最期の様子について、ラサールは「僕は間に合わなかったんですが、奥さんと娘さん3人に見守られ、拍手と『お疲れさまでした』の声で見送られたそうです。眠るようにすーっと。苦しむことなく天寿をまっとうした」と話した。前日にはバナナ、アイスクリーム、おにぎりを少し食べるなど、容体は安定していたという。

 最後に会ったのは一昨年10月、石井会長の82歳誕生日を所属タレントらが祝った時だった。贈ったひざかけは、亡くなる時まで使ってくれていた。ラサールは「再婚したことも報告すると『ようやったな』と喜んでくれた」と笑った。

 石井会長は生前、葬儀参列者は家族と所属タレントだけでと希望していた。ラサールは「それも『タレントの仕事の調整はするな』って。忙しくて誰も来られないのが理想だ、って…」と涙をこらえた。それでも11日の告別式には、ラサール、現在は別の事務所に所属する渡辺正行、小宮孝泰の「コント赤信号」3人がそろい、棺(ひつぎ)を運んだ。

 コント赤信号は石井会長に見いだされてデビューした。遅刻したラサールに代わり、石井会長が丸刈りになって謝罪したことなどを振り返り「マネジャーのかがみ。人間としてもああいう人に会ったことはない。絶対に超えられない」と声を詰まらせた。

 石井会長を有名にしたのは、フジテレビ系「オレたちひょうきん族」で、ラサールがものまねしたことがきっかけ。ラサールは「『おもしろう言うてくれるさかい、どこ行ってもモテるがな』と言われてました」と口調をまねた。

 マネジャー時代からタクシーを使わず、自分で重い荷物を持って移動したことなどが原因で、十数年前から頸椎(けいつい)にヘルニアを抱え、つえを使う生活だった。2年前にがんと診断され、寝たり起きたりの生活だったそうだが、つらいと言うことは一切なかった。「天国では足も治って、靴をすり減らしながら歩いているのかな。やっとお休みが来たんだと思います」とねぎらった。【小林千穂】

 ◆石井光三(いしい・みつぞう)1931年(昭6)10月31日、東京都生まれ。39年、JO京都撮影所(旧東宝京都)入所。子役として活動。46年、東横映画京都(現東映)第1期ニューフェース。63年、俳優活動をやめマネジャーとして松竹芸能入社。かしまし娘などを担当。83年、石井光三オフィス設立。押しの強さ、強烈な個性で知られ、撮影現場で「弁当ありまっか」と探す姿はフジテレビ系「オレたちひょうきん族」などでものまねされた。所属タレントにラサール石井、磯野貴理子、ピンクの電話、内山信二ら。<「名物社長」アラカルト>

 ◆端敵

 父は新国劇、母は宝塚出身。戦前は子役、戦後はニューフェースとなった。100本以上に出演も端敵(はがたき)と呼ばれる端役の敵役がほとんど。人気社長になった後NHK連続テレビ小説「走らんか!」(95年)「てるてる家族」(03年)出演を果たした。

 ◆弁当

 現場にやってくると、「弁当ありまっか、弁当!」と弁当を探した。誰も食べてない弁当を見つけると「これもらえますか」。ものまねはギャグになった。実は、事務所の劇団「七曜日」メンバーに食べさせるためだった。

 ◆大声

 「ひょうきん族」などを手掛けたプロデューサーの故横沢彪さんがコント赤信号のスケジュール確認で電話すると3人とも仕事が入っていた。電話を切ろうとすると「ちょっと待って下さい。石井光三ならバッチリあいてまっせ!

 お徳用でっせ」と大声で売り込まれた。自身の出演はノーギャラだった。