陸上競技が今日12日からスタートする。初日の男子20キロ競歩は日本勢3人がそのまま今季世界ランキングの1、2、3を占めている。同3位の松永大介(21=東洋大)は、小2の時に両親が離婚。姉2人との3人きょうだいは、母孝子さん(51)の女手ひとつで育てられた。マイナー種目のために大学4年で五輪代表になってもまだ就職先が決まっていない。自分のため、そして母に恩返しするため、初の五輪でメダルを目指す。

 中3の時、松永はひとつだけ母におねだりをした。「横浜高校で陸上がしたい」。母は3人の子どもを育てるため、毎朝7時に家を出て縫い物の仕事をして夜9時に帰宅。そんな働きづめだったが、私立高校に一般入試での進学を望む末っ子に「分かった。お母さんも頑張るから」と答えた。

 経済的に裕福ではなかった。おもちゃをねだったことはない。姉は穴が開いた靴下を自分で縫ってまた学校に履いていった。母が仕事でいない間に、末っ子も何でも1人でできるようになった。4歳の時、おにぎりを作って外に遊びに出掛けた。整理整頓から練習着の洗濯、パスタやチャーハンを作っての食事。お菓子が欲しければ、ケーキやクッキーを焼いた。「物心ついて家計のことも分かるようになって。親にそんなに迷惑かけられないなと思った」。自立した性格が評価されて、箱根駅伝の強豪、東洋大で競歩選手としては初めて寮長を務めている。

 3月生まれで子どものころは小さかった。「1日に何でもピャーピャー泣いていた」と母。小学校の成績は5段階でオール3。中学で競技を始めたのも「陸上部って部費と用具代とか安いんじゃない」という理由だった。最初の練習についていけずに、ベソをかいた。全国レベルではなかったが、3年間の成長度合いを見て「うちにこい」と誘ってくれた横浜高に進んだ。高2の時、母に「陸上をやめたい」と言った。朝5時起きで練習してもタイムが伸びなかった。怒られると思ったが、母の反応は違った。「やめたきゃやめれば」と言われて思い直した。

 今年3月、全日本能美大会で優勝して代表をつかんだ。「動物のテレビ番組を見て泣く」という感激屋は「これで実業団の誘いもくる」と涙を流した。だがマイナー種目だけに、まだ就職先は決まっていない。

 大学1年の時、母の誕生日に湯沸かしポットとマグカップをプレゼントした。毎朝、コーヒーを飲んで仕事に出掛ける母に使ってもらうためだった。母は「マグカップに私が好きな猫のキャラクターがついていた。あまり売ってないから、探して買ってきてくれたんだなってうれしかった」。

 松永は初の五輪で活躍を誓っている。「実業団に入って自分の生活が安定したら、親にそれなりのプレゼントをしたい。そのためにリオ五輪で結果を出すことだと思う」。【益田一弘】

 ◆松永大介(まつなが・だいすけ)1995年(平7)3月24日、横浜市生まれ。横浜高1年で競歩を始めて東洋大に進学。14年世界ジュニア選手権1万メートルで日本人初の金メダルを獲得。昨年のユニバーシアード男子20キロ競歩で銅メダルを獲得した。174センチ、60キロ。

 ◆男子20キロ競歩の展望

 日本勢が世界ランク3位までを占めるが、世界大会の実績は物足りない。5月の世界チーム選手権では高橋が12位、藤沢が69位。持ちタイムはいいが、細かいペースの上下や駆け引きで後手に回る可能性はある。松永は14年世界ジュニアを制した潜在能力と持ち前の負けん気で爆発を狙う。メダル候補は、昨年世界選手権北京大会で金のロペス(スペイン)銀の王鎮(中国)銅のソーン(カナダ)ら。ロンドン五輪金の陳定(中国)も連覇を狙っている。