白髪交じり、より、白髪が目立つ、という表現が正しい。Jリーグでのプレーを諦めない者たちが各クラブ関係者の前でアピールするトライアウトが、8日と9日の2日間、千葉県内で行われた。20歳過ぎの選手が大半を占める中、40歳のベテランが1人交じっていた。76年7月13日生まれのFW盛田剛平。夢を諦めない1人だ。

 今季で甲府を退団した。99年に駒大から浦和へ鳴り物入りで入団も、日本代表とは縁が遠かった。今年は5月に左膝の半月板損傷で手術を受けたこともあり、リーグ戦6試合の出場、先発は3試合にとどまった。39歳での大けが。ただ、盛田の頭に引退はよぎらなかった。「自分からギブアップはしません。どこからも声がかからなかったら、すっと身を引きます」。大ベテランの域に入ってなお、実直で飾らない振る舞い。指導者としての誘いがあるというのも、もっともだと思った。

 手術した膝の状態は万全ではない。このけがも、盛田は糧にした。「リハビリの期間は大事だった。自分の体の勉強ができましたし」。現在は毎朝かならず、チューブを使って骨盤まわりの筋力トレーニングをする。膝への負担を減らすためだ。

 なぜ、現役にこだわるのか。返事は意外だった。「やりたいことはたくさんあるんですよ。それで困っているんです」。ラーメン店もやってみたいし、鉄板焼きが好きだからお好み焼き店にも興味があるという。拍子抜けした記者を前に、「ベンツに乗れるような人間になりたいですよ。ずっと勝負の世界で生きてきたし。でも、飲食だったら店舗展開できるくらいじゃないといけませんね」と笑いながら続けた。まったくの冗談、という響きでもない。好奇心旺盛な、少年のようなまなざし。あせないチャレンジ精神が、盛田の大きな原動力になっている。

 さまざまなビジョンを思い描く中で、サッカーを選ぶ理由はシンプルだった。「体を動かして、汗を流して…。好きなことをして、お金をいただけるんですから」。甲府で契約が切れてクラブハウスを去る日、サポーターにサインを求められた。いつもどおりペンを走らせる。こみ上げるものがあった。「(サインを)書いていて思ったんです。これからだってサインは書けますけど、背番号はもう書けないじゃないですか。それはさびしいなと」。まだ、大好きなサッカーがやりたかった。

 トライアウトで2本行ったミニゲームのうち1本は、1人、トレーニングシューズでこなした。フルコートでの試合形式は後半の45分間。アピールの時間は減るが、膝と相談しながら、最善の方法を選んだ。「40歳というだけで、興味を持ってもらえないかもしれないけど。あがいてます」。現役時代はチーム事情でDFとFWを行き来したこともある。終始どこか楽しそうな顔つきで話す苦労の人に、朗報が届きますようにと素直に思った。【岡崎悠利】


 ◆岡崎悠利(おかざき・ゆうり) 1991年(平3)4月30日、茨城県つくば市生まれ。14年入社。おもに浦和、柏、東京Vを担当。小学校時代に所属したサッカー少年団ではGK。新潟のGK川浪吾郎は近所のチームで、しばしば対戦。60メートル程度のコートながら、ゴールキックがそのまま自分のところまで飛んできたことも。