FC東京ユースの高校1年生FW久保建英(15)が、J1の公式戦デビューを果たすことが決定的になった。5月3日のルヴァン杯コンサドーレ札幌戦(味スタ)が濃厚で、出場すれば15歳10カ月29日。04年森本貴幸(東京V)の15歳10カ月20日には9日及ばないものの、2番目の年少記録となる。そこに得点もついてくれば、森本の16歳10カ月12日を抜いてJ1最年少。4月15日にJ3セレッソ大阪U-23(23歳以下)戦で更新したJリーグ最年少得点に続く称号を得る。


 ステージを上げても、それ以上の結果で期待に応えてきた。バルセロナの下部組織に入るだけで日本人初だったのに、12-13シーズンには30戦74発でカタルーニャ州の得点王に輝いた。中学3年だった昨年は、飛び級で高校年代の東京ユースに昇格。日本クラブユース選手権で史上初の中学生得点王になった。トップチームにも2種登録され、Jリーグ最年少出場記録を更新。J3は3試合すべて途中出場だったが、バルセロナの下部組織の練習に特別参加するなどした冬を越えると、今年はJ3の出場4試合にすべて先発。史上最年少ゴールを挙げている。


 逸材を壊すわけにはいかない。久保の育成に慎重を期したクラブは当初、公式戦で90分間フル出場させることを最重要視。J3を経験させる一方、高校年代の高円宮杯U-18プレミアリーグと重なった場合はユースの活動を優先しようとしていた。しかし、2季目のJ3で欠かせない戦力に。クラブが上方修正してJ3を主戦場にすると、久保は最年少弾で応えてみせた。


 日本代表も同じだ。本来はU-17代表の世代だが、昨年12月のU-19アルゼンチン遠征に史上初の飛び級で初招集。2試合に途中出場して無得点だったが「ボールが入った時プレッシャーの中でも起点になったり、十分に力を発揮した」と内山監督から評価された。そこから3カ月。今年3月のU-20ドイツ遠征では4試合2得点。後日、映像を確認した日本協会やJリーグの関係者も「もう完全にエースでしょ」と声をそろえるほどの存在になっていた。


 その中で今回、FC東京は新たなステージを用意した。J1クラブだけが参加できるルヴァン杯。5月3日のコンサドーレ札幌戦に照準を合わせた。3月も4月も試合はあったが、3月は先のドイツ遠征があり、4月は平日開催のため学業優先だ。高校に入学したばかりなのに、既に、出場が確実視されるU-20W杯韓国大会(5~6月)とU-17W杯インド大会(10月)で1カ月ずつ授業を休まなければならない予定が見えているため、ゴールデンウイークが「学生」には最適だった。どうやらU-20W杯のメンバー発表直後というタイミングにもなりそうだ。


 立石敬之GM(47)は「篠田監督とも話し合う中で『トップチームで遜色なくプレーできる水準。チャンスをあげたいね』という判断になった」と説明。J3やU-20代表のドイツ遠征も視察し「上のグループに入ってもおかしくないどころか、やはり成長した。今回も伸びしろに刺激を与えるチャンスなのかな」と、大型補強で開幕前の話題を集めたトップチームに、さらなる話題を提供することを決めた。「今まで大事に育ててきたけど、もう高校生になった。さらに上の環境でやってもらおうと思っている」と期待を込めた。


 まだデビュー前で、ルヴァン杯に出るにもトップチームでの競争に勝つことが前提だ。それでもルヴァン杯で結果を出せば、やはりリーグ戦でも見たくなる。U-20W杯で成果を残したなら、世界では「五輪→W杯」を飛び越して「U-20W杯→W杯」の流れだ。勝手ながら夢を見たくなる。


 あとは重圧。J最年少ゴールを決めた時、久保は「相当、楽になった」「ホッとした」と本音を漏らしていた。心苦しく、申し訳ないが「久保君にプレッシャーがかかるので、記事にするのはやめましょう」と言える新聞社の人間は、現状では1人もいない(…と思う)。18歳になる19年にバルセロナへ戻り、世界一の選手になる夢をかなえてもらうためにも、我々凡人の狂騒など気にしない活躍を続けてほしい。【木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場。一方で飛び級どころか留年に追い込まれ、5年の時にフル単(40単位)を取得。かろうじて2留=内定取り消しを回避して04年入社。文化社会部、東北総局、整理部をへて13年11月からスポーツ部でサッカー担当。