500回目の「準備」も、いつもと変わらぬものだった。9月30日、さいたま市大原サッカー場。全体練習を終えた浦和MF阿部勇樹(35)は堀コーチを相手に、40メートルほどのキックを蹴り続けた。

 引き揚げる途中、ピッチ上に誰かのシューズが置いてあるのを見つけた。ほぼ反射的にボールを蹴った。当たらなかった。

 20メートル先の小さなターゲット。当てるのは簡単ではない。かえって目が輝いた。集中して、実戦のようなプレキックルーティーンから、しっかりと狙う。やはり当たらない。気づけば、何本もキックを蹴り込んでいた。

 今日1日のG大阪戦で、阿部はJ1通算500試合出場に達する。35歳25日での達成は、G大阪MF遠藤保仁の35歳8カ月19日を抜いて、史上最年少記録となる。

 周囲からすれば特別な一戦。しかし阿部の試合に向けての取り組みは、いつもと一切変化がない。試合前のピッチ上でのウオームアップでは、おそらく最後に自軍ベンチ前から、50メートル以上先のゴールに向けてボールを蹴る。

 ネットを揺らすことが目的ではない。ゴールの枠の右上角、つまり12センチ四方の小さなターゲットを狙って、ボールを蹴っている。これこそ、めったに当たるものではない。それでも真剣に、狙いを定める。

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 もっとうまくなりたい。究極を目指す途上に、500試合出場がある。4月にリーグ戦100試合連続フル出場を達成した際、阿部は言った。「これくらいで満足していたら、遠くの方に叱られてしまう」。

 今は母国ボスニアで暮らす、千葉時代の恩師オシムさんを意識したコメントだった。当時聞いた「ベテランと言っていいのは、第2次大戦当時からプレーしているくらいの選手だけ」という言葉は、今も阿部の襟を正させる。

 週の初めは最後までピッチに残り、居残りランニングを続ける。そして週を通して、誰よりも多くの本数のボールを蹴る。

 今季はアジアチャンピオンズリーグで決勝トーナメントまで進出した関係で、夏場に例年以上の過密日程になった。それでも阿部の連続フル出場記録は続いてきた。現在、123試合まで数字は伸びている。

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 J1通算500試合目は、宿敵との対戦になる。G大阪には公式戦4連敗中。リーグチャンピオンシップ準決勝、そして天皇杯決勝と、タイトル目前で苦杯をなめさせられ続けてきた。

 1月1日の天皇杯決勝後、阿部は取材エリアに最後まで残っていた。他の選手がいなくなり、選手と報道陣の間を仕切る柵が撤去され始めても、まだ話を続けていた。

 普段は「オレのことよりも、もっと若いやつを取り上げてほしい」と取材対応をあえて控えめにする。それがこの日は、話している間に感情がたかぶり、涙まで流した。

 決して忘れないように、悔しさを自分の胸に刻み付ける「儀式」のようにもみえた。

 今季は攻撃時のリスク管理を、周囲に徹底させてきた。主導権を握りながら、カウンターで失点し、悔し涙に暮れる昨季までの轍(てつ)は踏まない。第2ステージはここまで13試合10失点。根気強い意識付けは、形になってきた。

 これまで失速を重ねてきた苦手のリーグ終盤戦。そこで何度も敗れてきた宿敵に勝てば「オレたちは変わった」と確信することができる。

 「優勝へのターニングポイントはあの試合。しかも通算500試合目だった」。そうやって笑って振り返ることができるように、阿部はG大阪戦で身体を張り、声をからす。【塩畑大輔】