14大会ぶり9度目出場の桐蔭学園(神奈川)は初戦の一条(奈良)戦で、終了間際に同点に追いつかれ、PKで敗れた。

 FW森山(3年)の2得点で常に先手を奪いながら、後半ロスタイムに一条のFW相坂(3年)に同点ヘッドを許しPK戦に。桐蔭学園は3人が決められず、2-3で初戦敗退が決まった。試合後の蓮見理志監督(34)は「最後まで勝ちきれないところに甘さがあったと思います。けが人がいて層が厚くなかった。そういう中で、全国で1勝することの厳しさを感じました」と、あと数十秒しのげば全国1勝までこぎつけながら、手からこぼれ落ちた勝利の難しさをかみしめていた。

 桐蔭学園は李国秀監督(60)の方針で、本来は神奈川県大会も1、2年生チームが出場する予定だった。ただ、当時の蓮見コーチが代理監督を務めることや、学校側の判断もあり、3年生20人と2年生3人からなる23選手で県大会を勝ち抜き、14年ぶりの全国出場を勝ち取っていた。この日、主将を務めたMF金子(3年)は神奈川県大会代表決定戦で桐光学園にPK戦の末に勝利した時、「選手権予選に出られないと言われた時は、何のために桐蔭に来たのかと、やるせない気持ちになりましたが、3年生全員と、力を貸してくれた2年生とで、予選を戦ってきました」と、厳しい条件の中で勝ち抜いたことを冷静に振り返っていた。

 それだけに、この日の敗戦を受け入れることはできない様子で、試合後は「スタンドで応援してくれたみんなのことを思うと、どうしても勝ちたかったです」と、顔面蒼白(そうはく)になりながら、必死に言葉を吐き出した。

 蓮見監督も敗退と同時に、今後の身の振り方は白紙となる。「学園に残れないものと覚悟しています。今年の夏に(代理監督を)引き受けると決めた時から、こうなることは覚悟していました。子どもたちが辛い思いをすることは見過ごせなかった。最後、全国で1勝させてやりたかったです」と、両肩を落としながらも穏やかな口調だった。

 既に1、2年生チームを指揮する李監督のもとでチームは練習をしており、今後は3年生チームに合流していた3人の2年生がどういう形でサッカーをするか、学校関係者、部長、コーチ陣で話し合うことになる。極めて異例の形で県大会を突破した桐蔭学園は、全国1勝を逃した中で、新しいスタートを切ることになる。