新型コロナウイルスの社会的規制の緩和に伴い、随時連載「ぜじんが行く」を再開します。復活第1弾として「Jリーグに年間200億円をもたらした男」に会いに行った。Jリーグは17年にスポーツ専門有料配信サービス「DAZN」と10年間約2100億円の放映権契約を結んだ。その大型契約を実現させたのが、当時Jリーグメディアプロモーション社長だった小西孝生氏(62)。その先見の明が、コロナ禍で逼迫(ひっぱく)したJクラブの経営を救うことになった。

Jリーグは16年7月、DAZNと17年から10年2100億円の大型放映権契約を発表した。国際スポーツでは前例のない膨大な金額に、日本のスポーツ界はもちろん、政財界も驚きを隠せなかった。年間200億円から映像制作費などを除き、140億円程度は上位クラブの強化費に充て、多くのビッグクラブを誕生させることを目指した。

契約から3年半後、世界中がコロナ禍に苦しむとJクラブも直撃を受けた。Jリーグは、成績に基づく上位クラブへの理念強化配分金を、J1~J3全クラブに配分することに切り替え、経営難に苦しむクラブに助け舟を出した。契約当時はDAZNマネーが、全Jクラブを助けることになるとは夢にも思わなかった。その契約に至る経緯を発案者の小西氏から聞いた。

15年12月。Jリーグメディアプロモーションの社長だった小西氏は、極秘でロンドンに飛んだ。ヒースロー空港近くにある英動画配信大手、パフォーム社の映像作成や送信システム設備を視察。この会社はのちに、サッカーやテニス、野球などスポーツをネット配信するDAZNを立ち上げることになる。

実はJリーグはその1カ月後の16年1月、長年放映権契約を結んでいたスカパー!との優先交渉権契約期限の締め切りを控えていた。それまで年間30億円の複数年契約を50億円程度に増額したかったが、スカパー!の提示は微増。優先交渉期間が終了後、スカパー!、ソフトバンク、パフォームの3社で放映権を争うことになった。同年4月、都内でオリエンテーションを行い、その後3社によるプレゼンが実施された。

パフォーム社が提示した金額は他社を圧倒した。Jリーグは悩んだ。ソフトバンクやスカパー!は日本で実績がある。しかしパフォームは日本どころか、世界どこにも実績がない。実は同社にとって、Jリーグは世界へネット配信するための試験的ケースだった。当然、契約者の実績が上がらず、契約破棄されたら金銭面の保証はどこにもない。だが、「10年で2100億円契約」は魅力的すぎる。

小西氏は「金銭的保証がないと契約に踏み切ることは難しいと判断していた」。そこで電通へ保証を持ちかけたが、断られた。四方八方を調べ尽くし、たまたま楽天の会長・三木谷氏とパフォーム社の大元の親会社となるアクセスインダストリーズ社の会長レン・ブラバトニック氏がハーバード大学経営大学院の同級生で親交が深いことを知った。レン氏は英国で7番目の大富豪といわれる人物で、同氏と親会社の保証が取れれば、パフォームとの契約に踏み切れると判断した。

三木谷氏に頼み、アポイントを取ってもらい、Jリーグチェアマンの村井氏が16年7月に英国に向かった。結果、レン氏の保証を取り付け、パフォームとの契約合意に至った。のちにDAZNが立ち上がり、Jリーグはその第1号契約社となった。その後、DAZNはJリーグの実績からブンデスリーガやスペインリーグ、欧州CLなどとの契約に成功し、サッカー界の顔となっていった。

奔走した頃の小西氏は、どうしてもパフォームとの契約をまとめたかった。「大きな金額のほとんどはJクラブの強化費に回せる。Jリーグが世界的なビッグリーグに成長するには、クラブの活性化は必要不可欠」。幕末に英国留学し、近代日本の礎を築いた伊藤博文、井上馨ら「長州五傑(ファイブ)」にちなんで、16年2月にJリーグ内で「チーム5(ファイブ)」を結成した。小西氏を筆頭に常務理事で放映権担当役員・中西大介氏、放映権担当・樋口順也氏、映像関連に強い勝澤健氏、岩貞和明氏の実動部隊のわずか5人でスペシャルチームを組んで、法律的なことから現場の細かいことまで1つずつクリアしていった。

契約がまとまりかけた時、大きな障害があった。Jリーグはある程度の試合数を有料ではなく、NHKや民放各局でも放送可能にしたかった。しかしDAZNは「こんなに膨大な金を払うのにそれはできない」ときた。小西氏を中心にチーム5はそれぞれの立場から、現場で日本の放送事情、スポーツ文化などを説明し、将来的には契約者を増やすための投資戦略的な施策との名目で、DAZN側を納得させた。

その小西氏は今年3月、4年間務めたJリーグ特任理事と株式会社Jリーグ社長を退任した。そして「株式会社小西FC」を設立。スポーツコンサルティング会社でサッカーやバスケットボール、スポーツ映像制作、デジタルゲームなど、スポーツにかかわる事業を展開している。

「今後も日本のスポーツ環境がよりよくなり、子供たちが将来スポーツを通じて夢が膨らませられるような環境をつくっていきたい」

DAZNを日本に定着させた男の第2の人生。その新たな挑戦が実れば、日本のスポーツ環境はさらに改善され、スポーツ関連の仕事を本職にできる子供たちを増やすことができる。スポーツ王国を目指す小西氏の新たな挑戦は始まったばかりだ。【盧載鎭】

◆小西孝生(こにし・たかお)1959年(昭34)11月15日、東京・中央区築地生まれ。83年に慶大法学部卒業。出版社、映像通信会社に勤めた後、92年Jリーグに入社。00年に日本サッカー協会へ事業部長として出向。04年にJリーグに復帰し、Jリーグメディアプロモーション、Jリーグホールディングスの社長などを歴任。18年から22年3月までJリーグ特任理事およびJリーグ社長。退任後、スポーツコンサルティング会社「小西FC」設立。