34歳の若さで4日に亡くなったサッカー元日本代表の松田直樹さんの葬儀・告別式が9日、出身地の群馬県桐生市の斎場で営まれ、気温30度を超える暑さの中、サッカー関係者やサポーターらが最後の別れを惜しんだ。

 葬儀関係者によると、松田さんは所属していたJFL松本山雅(長野県松本市)の緑のユニホーム姿で、ひつぎには日本代表や出身校の前橋育英高(前橋市)のユニホームなどが納められた。

 横浜でチームメートだった佐藤由紀彦さんは弔辞で「本当に迷惑を掛けられたが、それを上回る優しさや愛がある男だった」と述べた。元横浜の安永聡太郎さんは式後に「憎めない人間性にみんなが魅了された。またあいつに会いたい」と言葉を絞り出した。

 日韓共催の2002年W杯でともに活躍した中田英寿さんや監督を務めたトルシエさんも駆け付けた。トルシエさんは「私にとって息子のような存在だった。天国で見守ってほしい」と静かに話した。

 日本代表時代のユニホームを着て親子で訪れた横浜市都筑区の主婦上田優美子さん(37)は「選手として横浜に帰ってくるのを楽しみにしていたのにショック。サポーターにも気軽に接してくれる優しい選手でした」と肩を落とした。

 式後、喪主の母親正恵さんがサポーターに何度も頭を下げながら「応援ありがとうございました」とあいさつすると、あちこちでおえつが漏れ、ナオキコールが響いた。

 松田さんは日本代表として40試合に出場。昨季まで横浜でプレーし、松本山雅に今季移籍した。2日に松本市のグラウンドで練習中に倒れ、帰らぬ人となった。