浦和FW高原直泰(29)が来季、背番号を「7」から「19」に変更することが23日、明らかになった。本人が希望し、既にクラブ側も了承済みだ。「19」は磐田、フランクフルト時代、日本代表ではオシムジャパン時代に背負い、好成績を残した縁起のいい番号。優勝請負人として浦和に加入した08年は故障などで不振となり、代表からも遠ざかったが、09年は心機一転、完全復活を目指すことになる。

 浦和がフィンケ新監督(60)を迎える来季に向け、高原は心機一転、再出発する。選手の「代名詞」ともいえる背番号を「19」に変える。高原の関係者は「08年は空き番号ということで7番でしたが、タカ(高原)にとって19番が非常に愛着のある番号。タイミングさえあえば背番号を変えたいと思っていた」と明かした。いわゆる「レギュラー番号」の7番から、12番以降の数字に自ら変えるのは異例だ。

 今季まで「浦和の19番」を背負っていたMF内舘が、先月末、クラブから戦力外通告を受けた。律義な高原は自らMF内舘に声を掛け「来季、自分が付けてもいいですか」と申し出た。浦和生え抜きの功労者からの継承許可を得て、番号と同時に責任感も背負う覚悟だった。関係者は「それだけ19番は重い数字なんです。来季は良いシーズンを送りたいという気持ちが強い」と、高原の気持ちを代弁した。

 高原にとって19番は特別だった。磐田でレギュラーをつかんだ出世番号。03年1月に移籍したハンブルガーSVでは32番を付け、チャンスに恵まれずに苦しい時期を過ごしたが、06年7月に移籍したフランクフルトで19番に変えると大活躍。日本人の欧州リーグでの1シーズン最多得点(11得点)を挙げた。

 日本代表でもオシムジャパンとして臨んだ07年アジア杯で19番、通算4ゴールを奪って大会得点王に輝いた。自身の公式サイトのアドレスにも「19」が入っているほどだ。Jリーグで不振が続き、代表からも遠ざかってしまった08年からの復活を目指す上で、最高の縁起担ぎとなる。

 来季への意気込みを示すように、高原は年末年始、海外で2度の自主トレを計画。フィンケ監督からも「メディアに言うのはあまり良くないと思うが、彼(高原)はポテンシャルを持っている」と評価される。高原は愛着ある「19」に背中を押され、完全復活を目指す。