<天皇杯:千葉2-3山形>◇準決勝◇26日◇ヤンマー

 山形が千葉とのJ2対決を制し、クラブ初タイトルに王手をかけた。2-2の後半26分、DF山田拓巳(25)が値千金の決勝ゴール。東北勢としては1933年(昭8)の仙台サッカークラブ以来、81年ぶりの決勝進出を果たした。決勝は12月13日に日産スタジアムで開催される。

 山形が、東北勢に81年閉ざされていた決勝への扉をこじ開けた。選手たちは喜びを爆発させ、大阪・長居のスタジアムの約3割を埋めた山形サポーター約700人も歓喜に沸いた。決勝点の山田は「決勝に行けて素直にうれしい。ここまで勝ち進んだのはチーム全員の力です」と胸を張った。

 何度追いつかれても粘り強く勝機を狙うのが、山形の、東北の真骨頂だ。後半9分にミスから2-2とされた後も千葉に攻め込まれたが、MF宮阪は「嫌な感じはしなかったし、チームとして点を取りに行く形を出せた」。苦しい時間帯を耐えてカウンターを狙う。全員の意識が統一され、狙い通りの見事な速攻から貴重な1点が生まれた。

 天皇杯の伝統を、石崎監督も重く受け止めていた。23日のJ2最終節から千葉は先発6人を入れ替えてきたが、山形の変更は出場停止による1人だけ。「名誉ある天皇杯でベストメンバーで戦いたかった」。さらに指揮官は「日本の歴史のある大会で最後まで残れるのは2チームだけ。絶対に決勝に行くぞ」と選手を送り出した。準決勝にかける思いで相手を上回り、前半2分に先制点を決めたFW山崎は「東北で81年ぶりに決勝に残れたのはすごいこと。チームにとっても価値は大きい」と胸を張った。

 クラブ初タイトルに王手をかけ、30日にはJ1昇格プレーオフ準決勝磐田戦に臨む。一気に2つの悲願達成を狙う山形が、東北サッカー界に新たな歴史を刻む。【鹿野雄太】

 ◆仙台サッカークラブ

 1927年(昭2)に東北大と東北学院専門部を中心に結成された選抜チーム。同年の全日本選手権(天皇杯の前身)に東北勢で初出場し、33年に決勝進出。戦後も51年に地元仙台開催の天皇杯で4位。20年以上にわたって東北屈指の強豪として活躍したが、53年の国体から一般の部の廃止と教員の部の新設をきっかけに事実上の解散となった。

 ◆J2勢の天皇杯決勝進出

 J1とJ2に分かれた99年以降、J2同士の決勝だった11年度の東京と京都に次いで山形が3クラブ目。2部制以前の94年度には旧JFL(2部相当)のC大阪が準優勝。