日刊スポーツのニュースサイト、ニッカンスポーツ・コムです。


  1. モータースポーツ
  2. 鈴鹿サーキット50周年特集

鈴鹿F1日本GPでラストランに向けて、整備の済んだ愛車をいたわるように見つめるティレル・ ホンダの中嶋悟(91年10月31日)
鈴鹿F1日本GPでラストランに向けて、整備の済んだ愛車をいたわるように見つめるティレル・ ホンダの中嶋悟(91年10月31日)

 鈴鹿サーキットにウエーブが起きた。中嶋のマシンに合わせ、スタンドを埋めた14万8000人のファンがうねった。自然に沸き起こった15万人の大ウエーブ。聖地鈴鹿の壮大なパフォーマンスに鳥肌がたった。

 1991年10月。鈴鹿は独特のムードに包まれていた。F1ブームをけん引してきた中嶋悟の最後の日本GPだった。87年にF1にフル参戦してから5年、38歳の中嶋は体力の限界から7月のドイツGPでその年限りの引退を表明していた。カウントダウンが近づくに連れてフィーバーは激しさを増した。そのピークがあの大ウエーブだった。

 セナ、マンセル、プロスト、ピケ、シューマッハ…優勝争いの役者はそろっていた。前年日本GPで日本人初の3位表彰台に上がった鈴木亜久里への期待も高まっていた。しかし中嶋に注がれる視線は、彼らと全く異質だった。日本にF1を根付かせ、道を切り開いた男のラストラン。ファンは感謝と尊敬の気持ちでいっぱいだった。

 「ありがとう中嶋」。横断幕はサーキット全域にひるがえった。中嶋は予選15位からスタートし、27週目には一時7位に上昇。入賞を狙える熱い走りに、スタンドはウエーブで反応した。31週目にS字カーブを飛び出して壁に激突、あっけなく終わった。珍しくアグレッシブに攻めた、クールな男の壮絶な最後だった。

 「ウエーブができるくらい応援してくれたことが印象に残っています。あれほど『日の丸』を感じたことは生涯なかったですね」

 引退後、中嶋は鈴鹿ラストランをそう回想している。誰よりも冷静沈着で精密機械のような男が、あのウエーブに目頭を熱くさせ、平常心を失っていたのだ。〝15万人の大ウエーブ〟に燃え、散った中嶋。まさに伝説の鈴鹿ラストランだった。
【91~94年担当 木﨑輝三】




日刊スポーツ購読申し込み 日刊スポーツ映画大賞