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ポールポジション獲得後の記者会見で(左から)小暮卓史(予選2位)、山本尚貴(同1位)、塚越広大(同3位) (11年10月10日=撮影・島村元子)
ポールポジション獲得後の記者会見で(左から)小暮卓史(予選2位)、山本尚貴(同1位)、塚越広大(同3位) (11年10月10日=撮影・島村元子)

 2011年全日本選手権フォーミュラ・ニッポン開幕戦。デビュー2戦目の山本尚貴は鈴鹿で自身初のポールポジションを獲得、上出来の結果に歓喜の涙を浮かべた。SRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ)育ちの山本。明るい性格で人当たりがよく、さわやかな笑顔が人気を集め、レース関係者からは「部長」と親しみをもって呼ばれる若手ドライバーの躍進に、プレス陣も自然と頬が緩んだ。

 かねてより「優勝請負人」として来日した外国人ドライバーが席巻するフォーミュラ・ニッポン。08年を最後に日本人チャンピオンは生まれておらず、トップ3は「ガイジン」が独占してきた。アグレッシブな走りを身上とする彼らの走りは実にパワフルでワイルド。キレイにまとめるのが得意な日本人選手が多い中、まだ荒削り状態で勢いある山本の走りには、見ていてワクワクするものがあった。

 未知の世界、ポールポジションからのスタート。彼は直前まで満面の笑みで声援に応えていた。しかしそれがどれほど重圧だったのか。シグナルがブラックアウト、真っ先に1コーナーへと飛び込むはずが、気がつくと後続のクルマに飲み込まれポジションを落としていた。--痛恨のホイルスピン。その後は逸る気持ちがミスを誘発したか、他車との接触でスピンアウト。幸いエンジンは掛かっていたが、クルマはアライメントが狂い、正常に走れる状態ではなかった。ピットで一旦修復し、再スタートを切った山本。ファステストラップをマークするも周回数不足で完走扱いにならずレースを終えるという、厳しい結果だけが残った。

 「神様が“勝つのはまだ早い”って思ったのかも。でもみんなが懸命にクルマを直してくれてコースに復帰できた。神様は味方してくれたのか、そっぽ向いたのかわからないですね」。

 涙でにじんだ目は赤く、声を絞り出して語った山本。だが最後は照れくさそうに笑顔も見せた。以来、彼はまだ優勝を成し得ていない。ぜひ、鈴鹿で…。そう願っている。【98~12年フリーランス 島村元子】




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