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鈴鹿F1日本GP決勝で7位入賞を決め、笑顔を見せるザウバーの小林可夢偉(10年10月10日)
鈴鹿F1日本GP決勝で7位入賞を決め、笑顔を見せるザウバーの小林可夢偉(10年10月10日)

 2010年、F1日本GPは大きな逆風の中にあった。08年にホンダ、09年にはトヨタと日本メーカーのチームが相次いで撤退。全チームにタイヤを供給していたブリヂストンもこの年限りの撤退を決めていた。ザウバーのエースドライバー小林可夢偉だけが、未来へつながる一筋の光だった。

 小林は重圧を背負ってレースに臨んだ。母国GPではあったが、鈴鹿は決して親しみのあるコースではなかった。トヨタの育成ドライバーとして若いうちから欧州で経験を積んだ小林にとって、鈴鹿は03年に育成レースのフォーミュラ・トヨタ(07年で終了)で走った程度。その年の最終戦ではエンジンブローし、ライバル中嶋一貴に総合優勝をさらわれた悔しい思い出もあった。F1ではトヨタの第3ドライバーだった前年の日本GPのフリー走行で雨中のコースを走っただけで、実質初体験だった。

 予選が雨で中止になり、決勝日の午前に延期。予選も14番手と思い通りの展開にはならなかった。決勝も残り15周の最後のタイヤ交換時は12位と、入賞圏内には届いていなかった。それでも小林はあきらめていなかった。

 小林の逆襲が始まった。グリップの強いソフトタイヤを得て、ペースを上げた。鈴鹿は追い抜きポイントの少ない、技術力が要求されるコース。狙いを定めたのはヘアピンだった。直線速度の遅い、その年のザウバーのマシンを考え「ボクらのポイントはあそこしかなかった」(小林)と、他車の速度の落ちるポイントで仕掛けた。ギリギリまでブレーキを遅らせ、相手より先にコーナーに飛び込んだ。追い抜きが難しい現代のF1だが、同ポイントで5度も順位を上げる「オーバーテークショー」を見せた。7位でゴールした小林を、スタンドのファンは優勝したフェテル(レッドブル)以上の声援で迎えた。

 レース後のインタビューで小林は「見て、面白いと思ってくれたら良かった。できるだけF1を知らない人にも興味を持っていただければ」と呼び掛けた。重圧をはねのけ、レースの魅力を存分に伝えて、日本のF1を未来につないだ瞬間だった。

 現在も小林はザウバーのエースドライバーとして活躍。今年はマシンの戦闘力も高く、着実にポイントを重ねており、初表彰台、初優勝の可能性も高まっている。ヘアピンには昨年に続き、小林可夢偉応援席が設定されている。オーバーテークショーの再現を期待したい。【09~11年担当 来田岳彦】




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