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鈴鹿F1日本GPでしのぎを削った「2人の天才」アイルトン・セナ(左)とアラン・プロスト
鈴鹿F1日本GPでしのぎを削った「2人の天才」アイルトン・セナ(左)とアラン・プロスト

 惨劇は起こるべくして起きた。1989年10月22日、F1シリーズ第15戦「日本GP」。ダブルエースのマクラーレンはアラン・プロスト81ポイント、アイルトン・セナ60ポイントでセナが優勝を逸すると最終戦を前にプロストの年間王者が決定する。2年連続王者へセナは追いつめられた。

 予選で1分38秒041のコースレコードをたたき出し、2位プロストに1秒730の大差でPPを獲得した。スタートは「プロフェッサー(教授)」の異名を持つプロストが絶妙のクラッチミートから第1コーナーでホールショットを決めて序盤戦でセナをリードした。だが周回遅れのパスしながらセナが残り10周でじりじりとプロストに迫る。コーナーではセナが差を一気に詰めてオーバーテイクをうかがい、直線では高速セッティングのプロストが引き離す。ここまではファンを魅了するハイレベルのデッドヒートだった。

 暗転は47周目にやってきた。残り6周。130Rで仕掛けてシケインの入り口でインにノーズを差し込んだ。プロストは内に締め込んでブロックすると、赤と白の鮮やかなマルボロカラーの2台がスローモーションで動きを止めた。ホイールが絡み合い、エンジンがストップしたマシンから王者を確信したプロストは降りたが、セナは拒んだ。コースマーシャルに押し掛けを指示してエンジンに再び、火を入れるとシケインのエスケープゾーンからコースイン。1周後のピットインでタイヤ交換と接触で破損したフロントノーズを応急処理した。残り2周でトップに躍り出たベネトンのナニーニをあのシケインで、またもインを強引に突いてパスするとチェッカーフラッグを受けた。

 セナが土壇場でドライバーズタイトル争いを最終戦に持ち込んだかにみえたが審議の結果「シケイン不通過」と判定されて失格。ナニーニが繰り上がって初優勝。マクラーレンは不服として控訴するが最終裁定は「押し掛けスタート」による失格。後味の悪さだけが残った。当時のパレストルFIA会長は母国フランスの英雄を擁護してモータースポーツ界ではアウェーのブラジル人のライセンスはく奪まで言及した。

 ピット最前線の空気は必然の畏怖(いふ)に満ちていた。悲劇は異なるDNA持つ天才同士がエースとして並び立つチーム体制にあった。巨額の開発投資と運営資金を要するF1チームには成績が求められる。チーム戦略として「すべてエースドライバーが最優先」という厳密な契約が交わされる。マシン、エンジン、タイヤ、担当メカニックも。そしてレースでも先行するセカンドドライバーがチームオーダーでエースにポジションを譲り、エースの露払い役を務めることは暗黙のルールだ。両雄をコントロールすることは2人の才能とプライドがあまりに高すぎるため事件は不可避だった。

 その2年前。鈴鹿で初のF1GPが開催された。朝のフリー走行を鈴木亜久里氏と第1コーナーで何度もチェックした。1歳年上の鈴木氏はカート出身で父からスパルタ教育で鍛えられ「鉄拳制裁」を受ける場面はピットでも有名だった。当時2輪ロードレースに参戦していた自分も何度か遭遇しており、顔なじみだった。当時、F1挑戦に苦悩する鈴木氏からオフレコ話をよく聞かされた。

 シケインから立ち上がって時速300キロに達するホームストレートの直後にある第1コーナー入り口はドライバーの超越したテクニックとマシンの戦闘能力を図る絶好の位置だ。湿度の高い早朝は風速でリアウイングから水蒸気のもやを発して飛び込んでくる2人の天才は際だっていた。「プロストのマシンコントロールはすごい。進入ラインは30センチも変わらない。ブレーキングポイントはまったく同じ」。そしてセナは「ラインもブレーキポイントも周回ごとに微妙に違うがとにかく速い。表現しづらいがアクセルワークがまるで違う」と両手で金網を握りしめ、長いため息を漏らした。後に「セナ足」と称されるコーナリング中にアクセルをコンマ数秒単位であおってパワーバンドをコントロールする超人ぶりを感じ取っていた。

 ホットコーナーには先客がいた。ホンダ桜井淑敏総監督だった。「よぉっ」と初めてこちらに気がついたようなニヒルでぶっきらぼうなあいさつは、当時最強エンジン「ホンダV10」と2人の天才をドッキングさせる青写真を確信した照れ隠しで悲劇の発端だったのかも知れない。翌88年日本GPで鈴木氏は急病のヤニック・ダルマスの代役でF1デビュー、90年の日本GPでは日本人初の決勝3位で表彰台でシャンパンファイトに酔った。世界有数のテクニカルサーキットはいつもドラマチックだ。
【86年~94年担当 大上悟】




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