【1998年2月12日・日刊スポーツ紙面から】

 長野が震えた。日本が揺れた。世界が驚いた。冬季五輪に、日本女子初の金メダリストが誕生した。モーグル界のかっ飛び娘、里谷多英(21=北海道東海大)が、日本スキーの歴史を変えた。持ち味のスピードあるターンで、25・06の高得点をマークした里谷は、予選11位から大逆転。世界の強豪を打ち破り、表彰台の頂点に立った。同種目の上村愛子(18=長野・白馬高)も7位入賞。飯綱高原に響き渡る大歓声の中、里谷は世界の「Tae」になった。

 一人選手が滑り終わるたびに、観客席がどよめいた。点数が出るたびに「オーゥ」と歓声が起きた。興奮は次第に大きくなった。残り8人、残り3人。「入賞確定したぞ」「オー、メダルだ」。予選トップのペルチャト(カナダ)が、最後の相手だった。滑り終えて両手を上げるペルチャトを見て、7996人の目が電光掲示板に移った。長い長い15秒。得点が刻まれた瞬間、耳をつんざく大歓声が会場をのみ込んだ。

 ストックを握ったまま、里谷は体を目いっぱい伸ばして飛び上がった。両手をまっ青な空に突き上げた。男子代表の坂本が飛び出した。ファーレン・コーチが、フェンスを乗り越え白と赤のウエアを抱え上げた。上村が、原が、選手が次々と飛びついた。みな涙。金メダルを逃したジャンプの無念から2時間後、歓喜が日本中を包み込んだ。「夢みたい。信じられない。すごくうれしい」。チームメートに胴上げされて里谷は言った。

 一発勝負の滑走を終えて1位に立った。しかし、10人も残っていた。みな、予選で里谷以上の点を出している強豪だ。観衆が、テレビの前のファンが「抜かないで」と祈った。里谷の高得点を意識してのミスからか、他の選手の得点が伸びない。電光掲示板のSatoya Taeの下に、昨年の世界選手権王者、そしてW杯総合王者の名が並んだ。最後まで、その名が下がることはなかった。

 スタート前に響いた5回の「タエコール」が、迷いを消した。スピードに乗ったターンから、第1エアで体を一度ひねってから、大の字に開くツイスタースプレッド。第2エアは高い開脚ジャンプをしながら、股間(こかん)にストックを通すコザックを決める。スピードについていけずに失敗した昨年の世界選手権と同じ技を、完ぺきに決めてみせた。果敢に攻めた。失敗を恐れずかっ飛んだ。ジャンプ台を飛び出すタイミングで場内を揺るがす歓声に、里谷が弾んだ。32秒10は入賞者で最も速かった。25・06点。「すごく高い得点が出て、しかも五輪で。うれしくて」。最高の滑りだった。順位確定を前に、目が真っ赤にはれた。

 「目立ちたくて」スキーを始めた。始めたばかりのころは、わざとリフトのそばを滑り、上からの目を引こうとした。もうその必要はなくなった。世界最高の舞台で表彰台の一番上に立った。

 「いろいろな人に感謝したい。応援してくれた人、両親、みんなに感謝したい」。ターエ、ターエ、ターエ、ターエ……。コールは30分、鳴りやむことはなかった。 【中島洋尚】<里谷多英(さとや・たえ)>◆生まれ1976年(昭51)6月12日、札幌市生まれの21歳。◆サイズ身長165センチ、体重55キロ。◆競技歴父昌昭さん(享年54)兄了さん(23)と一緒に5歳でスキーを始めた。札幌新陽小6年でモーグルに転向、その年の全日本選手権で初出場初優勝。93年W杯初挑戦(リレハンメル)25位。93年北米杯優勝。94年リレハンメル五輪11位。昨季W杯では総合7位、ラプラーニュで4位。◆カラオケ大のカラオケ好き。親類一同が集まった会食の席では、カラオケがなくても1時間歌う。◆カウガール荒馬を乗りこなすようなスピードでコブを征服する姿から、仲間うちでは「カウガール」と呼ばれている。◆あだ名がモーグル東海大四高スキー部でモーグル選手は里谷だけ。入学当初は「モーグル」と呼ばれていた。◆愛犬96年1月から飼い始めた愛犬ビッグマックがいる。◆家族母まち子さん(46)兄了さん。