わたしがユニホームを脱ぐ2年前、秋田の鷹巣農林高から阪急に入団してきたのが中嶋でした。同郷で実家も近く、彼の両親からは親代わりを頼まれ、なにより秋田からプロ野球選手が出てきたことがうれしかったですね。

当時の阪急に秋田商出身の捕手で成田光弘さんという方がいました。その先輩が野球をやめて地元に戻った後で目に付いたのが中嶋で、球団に推薦したようです。無名だった高校球児は阪急に縁があったんでしょうね。

1988年(昭63)10月23日、引退試合になった西宮球場のロッテ戦、上さん(上田利治監督)に「中嶋と組ませてくれませんか」とわがままを受け入れてもらいました。プロ入り当初はまともにボールを捕れなかった男が、その試合では本塁打を打ちましてね。

ああみえて気遣いのできる純粋なやつです。どこにいってもずっと気になっていたし、1軍監督に昇格する際、後ろ向きだった本人に「これだけ低迷してるんだから、好きにやったらいいんじゃないか」と諭したこともありました。

ピッチャーの顔触れはそう変わっていません。山本を中心に、宮城も昨シーズン後半から芽が出だした。もともと定評があった投手力を、監督、コーチ陣がうまく引き出した。不安視された抑えも平野佳が加入、ヒギンスの安定感で解消された。

今までくすぶっていた才能のある野手を積極的に登用した。杉本をはじめ、福田の抜てき、取り組む姿勢が変わった宗の1、2番固定もはまったね。若手ではないがT-岡田もそう。紅林だってショートから外す気がないでしょ。あれも中嶋の頑固さだろうね。

ペナントレースの戦いぶりは優勝した交流戦が潮目でした。開幕から月別で負け越しが続いていたところを、交流戦前は5位だったのが、たちまち3位にジャンプアップし、メンバーを固定しながら優勝争いに絡むことができた。

中嶋が身に付けた選手を“その気”にさせる人心掌握の成果だった。ベンチのパフォーマンスだって見せるためではなく、本当にチーム一丸になっている躍動したムードに見えました。

同じように現役時代から知るGMの福良と中嶋がタッグを組んだチーム変革は、「フロント-現場」が一体となった勝利です。今シーズンの戦い方は財産になっただろうし、常にパ・リーグの輪の中心で戦うオリックスであってほしいね。(敬称略、オリックスOB会長・日刊スポーツ評論家)