ロッテから戦力外通告を受けた田中英祐投手(25)には誇れることがあった。10月3日に通告を受けた後、お世話になった人たちに報告して回ったが、多くの人たちから「英祐がずっと頑張っていたのは分かっていた」と言われたことだ。

 1年目の15年4月29日に1軍デビューしたが打ち込まれ、2試合で2軍降格。その後は投球フォームに悩み、結局、再昇格はかなわないままだった。わずか3年間で終わったプロ野球生活は「つらいことの方が多かった」という。三井物産への就職が決まり、あらためて振り返ってもらった。

 田中 普通なら会えない人と会えて、経験できないことを経験できました。自分がうまくなるために時間とお金を使いました。そのことを、人から応援してもらえました。デビュー戦では3万人の前で投げることもできました。その後は投げられなくなりましたが、そういう(投げられないという)経験もできました。乗り越えられたかは分かりませんが、1日も手を抜かず、逃げることもありませんでした。そういう生き方は、これからに生きると思います。思うことと、やることが一致しませんでしたけど、人として大きくなれたと思います。

 堂々と言い切った。「1日も手を抜かなかった」。野球選手に限らず、そんな言葉を、どれだけの人が言えるだろう。

 2年前の取材メモを見返した。デビュー戦の12日前。京大初のプロ野球選手と注目されていた右腕は、こう言っていた。

 田中 「なぜ、プロに入ったのか」と、よく聞かれたけど、結局、野球が好きだから。うまくなるのがうれしいから。「10年後、どうしていたいか」と聞かれたら、野球を続けていたい。「うまくなるのがうれしい」、「結果がでるのがうれしい」、「楽しむ」。アマチュアの時は、3つあった。今は「楽しむ」はない。2軍の選手が楽しんでいてもダメ。

 プロでは、10年間も野球はできなかった。好きな野球を楽しむことも、しなかった。だが、最後は「悔いのない日々を送りました」と言えた。困難から逃げなかったからだ。【古川真弥】