球場にいた阪神嶌村聡球団本部副本部長(53、肩書は当時)もそっと目を閉じた。3月28日の神宮。ヤクルト3回戦は、両球団で監督を務めた野村克也氏の追悼試合として開催された。阪神で3年、楽天で4年、野村監督の専属広報を務めた同副本部長にとっても、やはり特別な感情があった。

「距離を近めていけばいくほどやっぱり人柄というか、人情味というか、優しさっていうのが分かる。そういう方だったと思います」

誰もが知る大監督は強烈なオーラを放っていた。最初は近づくこともたじろいだというが、1度近づけばその魅力にどっぷりとはまる。キャンプ地高知で練習を終えると宿舎の食事会場で、午後6時から同10時までの4時間コースがお決まり。「ほとんど笑っていましたね」と懐かしんだ。

「人作りして、チーム作り、試合作りというのが監督の仕事の1つ。それをフロントに置き換えるっていうところもできてくると思う。監督の野球というのが、私の原点。監督がされてた野球というのをフロントとしても引き継いでいく」

仕事に対する厳しさ、人に対する優しさ。すべては野村監督から教えられた。開幕日の26日には、沙知代夫人と一緒に眠るお墓に参り、「見といてください。矢野監督ともどもタイガース、今年頑張ります」と誓った。同副本部長は4月1日付で球団本部長に昇格した。ノムラの教えは虎のフロントマンにも脈々と受け継がれていく。【阪神担当=桝井聡】