いつも響く声には、深い意味がある。オリックス伏見寅威捕手(30)は、最前列で思い切り声を出す。ベンチでも、試合前練習でも。年齢順に並ぶことの多いウオーミングアップ中でも、伏見には関係ない。30歳を迎えても、必ず最前列にいる。

「一番前で…? ずっと変わりませんね。1軍の試合に出始めたときから。あの頃の気持ちを忘れてはいけないので。1・5軍の選手だったし、なんとか1軍に残るためにと思って最前列で元気を出してました。習慣というか、自分の中では何も変わってない」

30歳を迎えても、着飾らない。ありのままに生きる。「自分では『一生懸命』を継続している感じ。今は若い選手が多いんでね。年齢が上だから、若手に『声を出せ』というのは簡単。でも、自分から行動できる選手でないと、とは思う。若手に『とらいさん、元気出してるから自分も』と思ってもらえたらいいなって。自分では、あの頃の継続だけど、その意味合いが変わってきましたね」。伏見の心がけが、チームの大きな前進につながる。

グラウンドで、全力で暴れ回る。その喜びを、誰よりも知っている。19年6月18日巨人戦(東京ドーム)で左アキレス腱(けん)断裂の大けがを負った。自力で立ち上がれず、顔をしかめるしかできなかった。リハビリ生活は壮絶。孤独との戦い。「野球できるの、いいなぁ…」。画面越しに仲間の躍動を見た。リハビリ中には「忘れたくても、一生、忘れられない。また野球、できるのかな…って。毎日、不安だった」と語ったこともある。「絶対、グラウンドに戻るんだ…」。その一心でリハビリ生活を送った。左足首に残る傷痕も、今や勲章になった。

1日、ソフトバンク戦で完封勝利の山本由伸(左)は伏見寅威とともに笑顔
1日、ソフトバンク戦で完封勝利の山本由伸(左)は伏見寅威とともに笑顔

根っからの捕手気質。磨いた「対話力」で仲間を鼓舞する。リハビリ期間も心は常に「1軍戦力」だった。昨年2月の宮崎キャンプはリハビリに専念。その中でも主砲吉田正、ラオウ杉本ら食事に誘い、打撃理論を語り合った。キャンプ最終日には山本を誘った。あえて最終日に誘ったのは「気遣い」があった。1軍本隊がオープン戦のため宮崎を離れたが、登板機会のない山本は残留して調整するタイミングだったからだ。

絶妙な心配りがある。今季初スタメンマスクは開幕2戦目の3月27日西武戦(メットライフドーム)。試合中のブルペンにもかかわらず、背番号23が見える。「確認事項を打ち合わせ。この打者はこうしましょう、このボール使いましょうとか。話さずにマスクをかぶって、サインを出されても『ん?なんで?』となる。一言、伝えるだけ。簡潔に伝えるだけで、変わってくる」。ブルペンに足を運び、救援登板を控えていた平野佳、漆原と打ち合わせてゲームに戻った。

その試合では“事件”が起こっていた。19歳左腕の宮城がスライダーのサインにうなずきながら、瞬時にカーブを投げ、西武山川から空振り三振を奪った。「あれは本当にすごい能力。それだけにフォーカスすると、素晴らしい才能。瞬時に変える発想を持つ選手はいない。もっと言うなら、先輩のサインを無視して投げましたって、すごい度胸じゃない?」。ストレートに褒める。ただ、そこで終わらないのが、伏見だ。

3月27日西武戦で山川穂高を空振り三振に仕留める宮城大弥
3月27日西武戦で山川穂高を空振り三振に仕留める宮城大弥

「あの試合の後に言ったのは、もし、捕手の意図を考えずにホイホイ投げてたらダメだからなと。そこが注目されてチヤホヤされても困る。チームで戦っている以上、勝手にやり過ぎるのもよくない、と。でも、何回も言うけど、あの才能はすごいと思う」。野球は個人戦ではなく総力戦。チームのために、注意する日だってある。

4月1日ソフトバンク戦(京セラドーム)では山本とバッテリーを組み、今季初完封に導いた。お立ち台で「“由伸さん”に迷惑をかけないように頑張ろうと思いました」と笑った。

行動1つに意味がある。伏見の言動には、いつも愛がある。【オリックス担当 真柴健】