ロッテのレオネス・マーティン外野手(33)が、5日の楽天戦でリーグトップの19号ソロを放った。とてもうれしそうだった。17号まで破竹の勢いで打ちまくった後、6月27日の18号までぱたりと止まっていた。珍しくヘルメットをたたきつけることもあった。もどかしさが十分伝わってきただけに、応援している人もうれしかっただろう。

情に深い人だなあと思ったことがある。19年シーズン途中の7月に加入した。この年ロッテでプレーしたのは2カ月とちょっとの期間だった。けれども帰国の日、成田空港に見送りに行くと、マーティンは泣いていた。「マリーンズに戻ってきたい」と言って目を赤くし、関わった期間も短い数人の記者と通訳に向かって、見えなくなるまで手を振りながら去っていった。

毎年各球団の助っ人の来日・帰国に立ち会うが、帰る時は喜びでテンション高めな人が多い。泣きながらゲートをくぐる外国人選手なんて見たことがなかったのでびっくりした。

そういえばメジャー時代、細菌感染症で生死をさまよったとも言っていた。「もう1度生きるチャンスをもらったんだ」と感謝し、何事もエンジョイするポジティブ精神に生まれ変わったという。キューバから亡命した際も相当苦労したようだ。仲間思いだし、人間できているし、文字通り人生2周目ってこういう人のことか…と思った。

となると“1周目”のマーティンがどんな人だったのかにも興味がわく。10年の世界大学野球選手権で来日したと言っていた。当時の記録を探してみる。あった。キューバ対日本。神宮球場で対戦している。マーティンは1番中堅で5打数1安打。4番はデスパイネだ。日本の投手陣は藤岡貴裕-加賀美希昇-乾真大-中後悠平-菅野智之のリレー。日本は7-12で敗れている。

打線を見ると1番三塁が東洋大時代の楽天鈴木大地で、1本塁打含む3安打3打点。東海大時代のロッテ伊志嶺翔大コーチが3番中堅に入っている。この年、アマ野球担当をしていたのに、この試合を見た記憶がない。8月なので甲子園取材に行っていたのだろう。コロナ禍で今は自由に話しかけられないが、いつかそんな雑談もできればいいなと、マーティンの本塁打から飛躍して思った。【遊軍=鎌田良美】