前回の本欄で、オリックス元監督の故上田利治氏を取り上げた。1990年(平2)の同球団について「1面の記事はグラウンド外の話題が多く、試合の原稿はなかった」と書いたところ、ネット上のコメントで「ゲームの記事を読んだ覚えがある」と指摘をいただいた。はい。思い出しました。同年9月9日西武戦で、名将が監督通算1000勝に到達した試合である。逆転満塁サヨナラ本塁打を放ったのは、前年89年に南海(後にダイエー、現ソフトバンク)から加わった、門田博光だった。

オリックス門田のサヨナラ本塁打を報じる90年9月10日の日刊スポーツ1面
オリックス門田のサヨナラ本塁打を報じる90年9月10日の日刊スポーツ1面

翌日10日付の1面隅に、私はこんな記事を書いた。

「孤高の人に見える門田だが、若手にも気さくに声を掛ける。新人の藤本俊彦捕手(19)に『君はどこの高校から来たんや』『プロとしての心構えを言うてみい』と尋ねた。名選手から話し掛けられ、藤本は大感激したという」

気配りの人門田は前年88年、40歳にして44本塁打と125打点で2冠を獲得。MVPも受賞し「不惑の大砲」は国民的流行語にまでなった。南海はダイエーに球団を譲渡し、福岡へ移転する。門田は関西での現役続行を希望。89年新球団オリックスへと移籍した。

南海では絶対的な存在だったが、オリックスでは新入りだ。徹底して周りを気遣う姿は、豪快なスイングとは対極の細やかさだった。南海最後の88年には全130試合で指名打者として出場。ところが、DHを務めていた石嶺和彦に申し訳ないと、左翼の守備にも必死に取り組んだ。2年目の90年には、本拠地西宮球場では2軍主体のBロッカーを使った。主力メンバーに気を使わせまいと思ったのだろうか。親子ほども年齢の違う若手と、くつろいで語り合う姿も見られた。

移籍2年目の90年、オリックスは南海の後身ダイエーを22勝3敗1分けと痛めつけた。古巣の力になりたい-。そう思った門田は球団に申し出て、ホークス復帰を快諾された。退団が決まると、2年間のチームメートたちに「世話になった。ありがとう」とお礼の電話をかけ続けたことは、あまり知られていない。

90年9月9日の西武戦で満塁サヨナラ本塁打を放ったオリックス門田博光
90年9月9日の西武戦で満塁サヨナラ本塁打を放ったオリックス門田博光

ところで門田は、若者たちにその名人芸を伝えてもいた。90年に大きく振り抜くコツを教わった21歳の強肩捕手は、打撃面でも急成長。右手首の故障で約1カ月欠場しながら、初の2桁となる12本塁打を放った。今季パの首位を走るオリックスの、中嶋聡監督(52)若き日の姿である。名将上田監督の教え子は、不惑の大砲門田の弟子でもあったのだ。吉田正やラオウ杉本らを擁する打線は魅力たっぷり。豪打でペナントレースを勝ち抜き、恩師に胴上げを見せてほしい。【記録担当 高野勲】