<ソフトバンク5-4西武>◇19日◇ペイペイドーム

ホークスにとっても「恩人」だった。西鉄ライオンズの名プレーヤーで複数球団で監督も務めた中西太氏が亡くなった。11、12年の宮崎キャンプでは臨時コーチとして若鷹に熱血指導。明石(現2軍打撃コーチ)のティー打撃の打球を胸に受けても「怪童と化け物みたいに言われとったんやから。何ともないよ。それより明石くんの打撃は良くなったよ」と笑顔で話していた姿が懐かしい。

当時、2軍打撃コーチとして指導者の道を歩み始めていた藤本監督にとってはさらに大きな存在だったのではないだろうか。中西さんが指導を始めると、ピタリと寄り添った。選手へ語りかける言葉を聞き漏らさないように、大きな体を折り曲げるようにして「名伯楽」の指導に神経を集中させていた姿は印象深い。

この日の試合前。藤本監督は中西さんの思い出を振り返っていた。「野球の指導者としてどうすればいいのかも教えてもらった。『これ読んどけ』って、すごく分厚いノートを見せてもらったりもしました」。チーム勝敗の責任は監督が負うだけにコーチと監督ではさらに立場は変わる。あれから10年以上の歳月が流れたが、藤本監督も当時の言葉を重く受け止めていることだろう。監督1年目の昨春。中西さんは藤本新監督に大きな期待を寄せていた。「藤本くんは2軍監督もやっていたし、選手のことは分かっているだろうから。とにかく選手が気持ち良くプレーできるようにやってくれ、と伝えといてくれや」。中西さんは「選手が気持ち良く」という言葉を何度も繰り返して携帯電話を切った。

昨シーズン、残念ながらホークスはあと1歩のところでリーグVを逃した。V奪回を誓う雪辱の2023年シーズン。まだまだチームは手探りの状態が続く。思い返せば重い言葉だった。【ソフトバンク担当 佐竹英治】