日本球界における「サイン盗み」の歴史を振り返りたい。その前に、サイン盗みの定義を確認しよう。

「走者や一、三塁コーチ、ベンチにいるメンバーが、相手捕手の出すサインを解読し、味方打者に伝える行為」

似て非なるものに「スパイ行為」がある。中継映像や双眼鏡などを用い捕手のサインを解読。何らかの手段で打者に伝える行為だ。グラウンド内の人間(選手、コーチ)が行うサイン盗みに対し、スパイ行為はグラウンド外の人間が行う。実は、ある時期までスパイ行為はダメだがサイン盗みはOK、むしろ高等技術とみなされてきた。

プロ野球でスパイ行為禁止が明文化されたきっかけは、84年5月25日のこと。当時の下田コミッショナーが、バッテリー間のサイン交換で乱数表を使うことを禁止するよう提案した。試合展開が、あまりにも間延びしていたからだ。12球団が了承し、同年6月8日から実施された。

乱数表はスパイ行為への防御策だった。決定を受け、パ・リーグは同年6月、セ・リーグは92年3月、機器を使って情報を不正に入手しないよう申し合わせた。この時点で、まだサイン盗みは禁止されていない。

99年1月、大勢の報道陣を前にダイエースパイ疑惑の報告書について会見するパ・リーグ特別調査委員会
99年1月、大勢の報道陣を前にダイエースパイ疑惑の報告書について会見するパ・リーグ特別調査委員会

大転換は98年オフ。ダイエー(現ソフトバンク)のスパイ行為疑惑だ。西日本新聞が12月2日の朝刊で報道。97年5月ごろから98年6月まで、本拠地福岡ドームでの試合で、球団職員が球場内モニターを見て相手バッテリーのサインを解読。無線機で外野席のアルバイト学生に球種を伝え、学生がメガホンを立てるなどして打席の選手に合図を送っていた、というものだ。

関与が疑われた3選手は完全否定。ダイエーが設置した調査委員会の報告は不十分として、パは特別調査委員会を発足。元検事総長の弁護士が調査に乗り出した。99年1月18日「疑惑を完全に払拭(ふっしょく)できない」と結論。現場への処分はなかったが、ダイエー社長らがリーグから職務停止の制裁を受けた。

同日、当時の川島コミッショナーが「試合中、外部からベンチへの情報伝達の禁止」など6項目を12球団に通達。翌19日、パは監督会議を開き、フェアプレーの徹底を宣言する。スパイ行為はもちろん、二塁走者やコーチによるサイン盗みも禁止した。

ダイエーのスパイ疑惑があり、一気にサイン盗み禁止まで踏み込んだといえる。セも同21日、スパイ行為防止策を話し合ったが、サイン盗みは具体的な記載がないまま。09年9月7日、申し合わせ事項として禁止を定め、ようやく両リーグの足並みがそろった。現在はスパイ行為だけでなく、サイン盗みも出場停止などコミッショナーによる制裁の対象となる。

日本高野連は98年12月4日、全国理事会で走者やコーチによるサイン伝達禁止を決定した。99年のセンバツ大会から適用。疑いがあれば審判員が注意するが、罰則規定はない(経緯の詳細は今連載で紹介する)。

全日本大学野球連盟は14年に「マナーアップに関する取り決め事項」を定め、サイン盗み禁止を明文化。罰則規定はない。ただし全日本大学野球選手権では、学生らしくない態度は退場処分の対象と規定される。

社会人野球を統括する日本野球連盟は、06年1月の指導者研修会でサイン盗みの問題を提起。現在は「スピードアップ・マナーアップ要綱」で禁止を明文化。監督退場を含む罰則も定めている。【古川真弥】