西武沿線に住む人にとって「速報板」が日常の風景であるように、田代裕大さん(31)にとって「西武」は祖父の思い出と一体となっている。昨年8月に亡くなった井沢昭也さん(享年90)をしのび「よく一緒に電車に乗って、西武球場に連れて行ってくれました」と懐かしんだ。

田代さんは神奈川・相模原出身だが、子どもの頃はゴールデンウイークや夏休みになると、西所沢駅近くの母の実家に泊まりに行くのが定番だった。「電車が大好きで。西武の黄色い電車に乗ると、非日常に来たようでワクワクしました」。幼稚園の頃は、近所の踏切で飽きるまで電車を見ていた。だから、小1の夏、その西武がプロ野球チームを持っていると知った時の驚きといったら、なかった。「試合、見に行くか?」。昭也さんとの観戦ライフが始まった。

初めての試合は、96年8月のオリックス戦。天然芝だった外野右翼席にピクニックシートを敷いた。誰が投げたとか、打ったとか、よく覚えていない。ただ、まだ屋根はなかった。緑に囲まれた球場の空を見上げると、カクテル光線が輝いていた。「これがプロ野球なんだ…」。一瞬でとりこになった。「子どもがかかりやすい魔法だったんでしょうね」とほほえんだ。

東京の大学に通うようになっても、大阪で働くようになっても、帰省すれば昭也さんの家に泊まり、2人で試合を見に行った。「一緒に優勝の瞬間を見るのが夢でした」。大学1年だった08年にチャンスが訪れる。マジックナンバーとにらめっこ。見当をつけてチケットを買った楽天戦。あと3アウトで夢がかなうはずが、9回にフェルナンデスに逆転満塁ホームランを打たれ、2人で固まった。結局、一緒に優勝を見ることはできなかったが、昭也さんとの思い出は西武とともにある。

3年前、会社をやめ、西武球団に転職した時は心から喜んでくれた。球団に歴史があるように、ファンにも歴史がある。昭也さんが西武ファンだったから、西武ファンになった。昭也さんは、もとは広島ファン。香川から「戦争に行くつもり」で広島の海軍兵学校に進んだからだ。戦後、上京し、ニュース映画やドキュメンタリーの監督になった。子宝に恵まれ、西所沢に越した数年後、球団がやってきた。家族の営みにライオンズが加わった。

田代さんは今、チーム付き広報を務める。「沿線の方にとって『西武』という言葉は身近なもの。その中で、球団も好きになっていただけたらありがたいですね」と、かつての自分を重ね合わせるように言った。(つづく)【古川真弥】