高校野球の地方大会が7月末で終わった。球児にとって短くもあり、長くもある濃密な3年間。日刊スポーツで「1年目の夏」を体感した新人記者が、盛夏を振り返る。

試合中に選手に話しかける早実・和泉監督(撮影・藤塚大輔)
試合中に選手に話しかける早実・和泉監督(撮影・藤塚大輔)

入社して2カ月が過ぎた今年の6月中旬。高校野球取材班の一員として、西東京の担当になった私は、早実の練習グラウンドへ、事前取材に訪れていた。

斎藤佑樹投手を擁し、06年夏に日本一に輝いた高校だ。気を引き締めて練習を見守っていると、ノックを打ち終えた和泉実監督(60)から「誰に話を聞くんだ?」と声をかけられた。下調べの時点で、中学時代から有名だった1年生がいる情報を得ており「主将と1年生の子を…」と答えた。返答を聞くなり、監督は言った。「1年生はダメだ」。鋭いけんまくに、私は思わずおののいてしまった。

そのままバックネット裏の部屋に入った。監督は初めはチーム状況などを話されたが、ほどなく「3年生はコロナ禍の制限があった中、本当によくやっている」と語り始めた。「コロナ以前を思うと、この子たちの3年間は比べものにならない」。満足に野球ができなかったことに対し、とても申し訳なさそうな表情をしていた。

私は「今年のスーパールーキー」という見出しを思い浮かべながら、安易に取材を申し出たことを恥じた。3年生の苦労を推し量ることもせず、分かりやすい指標に飛びついただけだった。もちろん、世間が関心を寄せる事象であれば、下級生であっても取材する必要はある。しかし、相手の思いを想像せず、自分が見聞きしたいことを押しつけるのは、独りよがりな態度にすぎない。記者である以前に、人としてあってはならないことだ。帰り道、和泉監督の話がどうしても頭から離れなかった。

それから取材態度を改めた。「そのチームや選手にとって、本当の価値とは何か」を追うようにした。すると、今まで気にも留めなかった姿に、意識が向くようになった。練習のサポート役に徹する3年生。新型コロナウイルスの影響で出場辞退を経験した主将。出場資格がない定時制の部員。どれも、分かりやすい見出しが添えられるようなストーリーではなかった。しかしそこにこそ、伝えるべき価値があるようにも思えた。1人1人の感情をそぎ落とさないよう、ひたすら書き続けた。気付くと原稿は、2000字近くにおよぶこともあった。

大会期間中、球場で和泉監督に再び会った。「あの時に厳しく言っていただいて良かったです」と頭を下げた。監督は「いいんだよ」と言いながら、「取材をされて名前が載るのは、うれしいものなんだよ」と笑っていた。1カ月前とは、違う表情だった。

社会人1年目の私は、和泉監督から、人生の教訓を得たように思う。相手の思いを想像すること。うなずきながら共感すること。そして、取材を受けてくださった方のためにも、記事はあるのだということ。【藤塚大輔】(つづく)